境内標柱の説明文は其之壱に掲載しました。
旧郷社。祭神は上津錦津見命・中津錦津見命・底津錦津見命。海の神様ですね。岩木川の治水神、この地域の安全と五穀豊穣を祈願するためであったと伝えます。
江戸期までは宝量宮と称していました。社伝によれば、文禄2年弘前藩祖津軽為信が肥前にいた豊臣秀吉のもとに参じようとした際、海上安全祈願のために当時河港であった板柳に海神を祀ったのが始まりと言います。
その後は衰退しましたが、正保元年になって村民が大川(岩木川)守護のため再興を藩に願い出たところ、社名はそのまま宝量宮とし、祭神は大咋主命(山ですねぇ…)・虚空蔵とするように許可がおりました。
そこで川端町の大木柳下に社殿を建立しましたが、出水の危険が多かったため、承応元年(1653)に現在へ移しました。
一方、安政2年神社書上帳には為信建立の事は書かれていません。おそらく岩木川河港の一つとして板柳村が開発された江戸初期に水上交通安全を祈って村民が建立したものと思われます。
安永3年に7代藩主信寧が、伊勢皇大神宮田扇等を奉納して祈願所としました。
明治6年に海童神社に改名し、祭神を現在の海神3神とし、郷社に列しました。
社宝の神輿は元禄15年に播磨国赤穂の浅野家が造ったものですが、浅野家断絶のために、たまたま大坂にいた当地の豪商若狭屋儀兵衛が買い取って奉納したものと伝えます。
7月13日の例祭の神輿渡御は弘前藩内で最初に許可がおりたものと伝えられます。
拝殿も本殿も造りが非常にかっこいいです。
本殿前に立派な唐門!!
かっこいいブロンズ狛犬!
虹梁等も美しい。
一の鳥居の向かいの家がないと想定すれば、拝殿から真正面に岩木山を望める構造です。
「海童神社(宝量宮・板柳町) ~ 其之壱 ~」はこちら。
再訪記事:『海童神社 (板柳町)』
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