京都妙願寺末日蓮宗海聚山永昌寺は享和3年(1803年)寺社領分限帳によれば日護を開山とし、寛文5年(1665年)創立。
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津軽一統志によれば50石の寺領がありました。十界勧請御本尊を本尊とし、本圀寺29世日解、妙顕寺19世日空にちなむ寺宝を有します。
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永昌寺は寛文元年(1661年)、敦賀の弘法院日護(ぐぼういんにちご)上人が、当時無住となり荒廃していた天台宗寺院に足を留め、法華経を弘める拠点としたのがその初めとされています。
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その後天和2年(1682年)、日護上人は檀信徒の支援を得て上洛し、大本山妙顕寺(みょうけんじ)第十九世日空僧正に拝閲し、海聚山永昌寺の寺号と、同寺の末寺としての開基曼陀羅を頂いて帰山しました。
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その3年後の貞享2年(1685年)に旧堂を改築し、新たに庫裏を建立。永昌寺発展の基礎を確立しました。
昭和7年に鯵ヶ沢町の大火にて焼失し、現本堂は昭和20年再建。
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日空から授かった開基曼陀羅、本圀寺29世日解が所持していた日蓮の分骨、袈裟の断片、メノウ玉1個があります。
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寺蔵の鬼子母神は小さな像が納められているところからハラゴモリの鬼子母神と呼ばれ、幼児の夜鳴き、疳の虫封じなどの祈願に県内外から参拝者が絶えません。
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寺前に漁師町標柱があります。
鯵ヶ沢草創期から集落が形成された。寛永年間頃は海士(あま)町と称され、漁業と深くかかわりをもって発展した町。区域も現在の「釣町」「浜町」「新地町」を包括した広い町内であった。
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分町後の元禄16年の絵図に西端に木戸があり、戸数70。寛政5年に新地町まで70余軒を焼失。
貞享4年から鯵ヶ沢町の漁師についてはすべて鯵ヶ沢町奉行支配となっています。海士は藩へ串貝上納を行なっており、元禄年間には海士が5人いました。
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