在府町にある国の登録有形文化財「木村産業研究所」(現弘前こぎん研究所)。
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建築家前川國男氏が建築家ル・コルビュジェに学んだ後、最初に手掛けた処女作です。
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日本人として日本で最初に創ったモダニズム建築。昭和7年建築。鉄筋コンクリート造二階建。
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白亜の外装、陸屋根の屋上バルコニー、ピロティ、壁から離した柱、吹き抜け、横長の窓、スチールサッシなどが、当時のモダニズム建築の特徴を伝えています。
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ここ在府町から輩出した明治の先駆者達の紹介がありました。木村静幽、笹森儀助、陸羯南、本多庸一、山田浩蔵…。
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筋向いの朝陽小学校の一画には在府町の標柱と佐藤紅緑顕彰の碑があります。
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佐藤紅緑は朝陽小学校出身、青森県尋常中学校(現弘前高校)卒業の作家・俳人。
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『雀の子 飛ばんとしては 飛ばんとす』
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在府とは、大名や家臣が江戸で勤務することで、藩政時代初期には足軽町と呼ばれていました。
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やがて江戸で召し抱えた侍を弘前に連れて来たとき、この地に住まわせたので在府町と呼ばれるようになりました。
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侍町はト徒歩(かち)衆の屋敷と有力家臣の下屋敷が設定されていました。
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下は昭和10年古地図。
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隣町の覚仙町標柱。
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慶安二年(1649)には10軒の鍛冶屋があり「かち町」と呼ばれたが、町内にあった修験の寺院の覚勝院にちなんで、元禄13年(1700)の侍町屋敷割には覚勝院前之町とされ、やがて寛政年間(1789~1801)に現在の町名に固定した。同町に住んだ国吉家・森宗家・国広家は津軽の刀匠として著名である。
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