
平賀駅のすぐそば(平川市本町北柳田)。

ここに三重塔土壇と礎石が残存しています。磁石の配置から想像するに中々立派なものが建っていたのでしょうね。

柳田には「塔の前」という丘があり大日堂が建っていましたが、大光寺で病没(慶長8年・1603年)した富姫(津軽為信の愛娘・大光寺城主津軽左馬頭建廣室)供養のため、津軽為信が慶長10年(1605年)に建立。

寛永7年(1630年・寛永10年(1633年)の説もあり)に雷火を受けて消失した三重の塔の跡と伝えられています。雷火で焼失したものの磁石はそのまま残ったと伝えられます。但し、焼失した痕跡は一切見受けられないとか。

大日堂の礎石が付近に散在していましたが、猿賀山蓮乗院に搬出され、境内も削平され面影はありません。但し礎石2個のみ蓮乗院より譲り受けて平賀町文化センター敷地内に保存しています。

平成15年に「富姫四百遠忌供養」碑が建立されています。


その横にはこのような磁石が唯一立てて置かれています。

なお、弘前の藤先寺には貴重な近衛龍山筆の津軽富姫弔歌が残されています。
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