下北半島の恐山と十和田湖の十和田神社と共に北東北三大霊場の1つに数えられている場所。ディープなスポットとしても知られる場所です。

とは言え、五所川原市のホームページの観光スポット等として普通に取上げられている場所でもあります。

川倉賽の河原地蔵尊例大祭(旧暦6月22日~24日)では多くの参詣客で賑わいます。例大祭ではイタコの口寄せが行われ、ローソクの灯、線香の煙、カラカラと回る風車が神秘的な雰囲気を漂わせます。この日は芦野公園の花見時期でしたので観光客らしき方々が結構訪れていました。

山王鳥居です。天台宗なんですね。この山王鳥居には更に仁王門が合体しています。

これって珍しくないですか?どうなんでしょう。

案内板より。
「ここ川倉の賽野川原は慈覚大師の開創と伝えられる点は下北の恐山と同様であるが、天空からお燈明が降り、掘ると一体の地蔵尊が出土、これを安置したのがその始まりともいう。文化、文政の頃から参詣人が増えたということから、およそ170年も前から民間信仰のメッカとして支えられ、例大祭(旧暦の6月22日より24日まで)には多くの参拝者で賑わう。特に鎌倉時代以前からいたとされる巫女(イタコ)の口寄せ(霊媒)も行われる場所となっている。」
「ここ川倉の賽野川原は慈覚大師の開創と伝えられる点は下北の恐山と同様であるが、天空からお燈明が降り、掘ると一体の地蔵尊が出土、これを安置したのがその始まりともいう。文化、文政の頃から参詣人が増えたということから、およそ170年も前から民間信仰のメッカとして支えられ、例大祭(旧暦の6月22日より24日まで)には多くの参拝者で賑わう。特に鎌倉時代以前からいたとされる巫女(イタコ)の口寄せ(霊媒)も行われる場所となっている。」
ちなみに青森の伝説には「飯詰の賽の川原は近くの日影川のほとりで田畑を耕していた農夫が、夢のお告げで発見した地蔵様を祭ったところである」とあります。似ていますね。

「境内は標高30mの特殊な地形にあり、急峻な坂道は、山麓古街街道随一のの難所であったに違いない。慶長時代の手植えとおぼしい黒松が面白く配置され、樹齢既に300年を越す。苛酷な労働の田の草取りが終わるや、家族ははじめて一息つき納涼にでる。老若男女がここに集まり、唄に踊りに一夜を明かす景観は、まさに夏祭の濫觴というべきであった。ちなみに一年の中で最も暑くて暗い晩を奇しくも祭典日(旧6月23日)とするところに、民間信仰のメッカとして支えられ、大衆から親しまれる秘訣が存するように思う。」

イタコの口寄せは本堂の裏手で行なわれるそう。

元禄7年の御国中道程之図では、『金木村と川倉村(河倉村)の距離30町23間、その間「さいノ神沢」を渡り1町19間の坂を登ったところに七夕野があり…』とあります。

境内にあるクロマツ。

推定樹齢500年、幹周3.5mで金木町名木に指定。

水かけ地蔵尊。


身代わり延命地蔵尊。

津軽民謡元祖初代津軽家すわ。有名な方ですね。

動物霊供養堂など。



………。


………。

こちらが境内から下る坂道…賽の河原。

積み石があり、風車がカラカラと回っています。

途中写真は撮りませんでした。坂を下ると藤枝溜池(芦野湖)に辿り着きます。

※賽の河原の積み石(Wikipedia)
賽の河原は、親に先立って死亡した子供がその親不孝の報いで苦を受ける場とされる。そのような子供たちが賽の河原で、親の供養のために積み石(ケアン)による塔を完成させると供養になると言うが、完成する前に鬼が来て塔を破壊し、再度や再々度塔を築いてもその繰り返しになってしまうという俗信がある。このことから「賽の河原」の語は、「報われない努力」「徒労」の意でも使用される。しかしその子供たちは、最終的には地蔵菩薩によって救済されるとされる。ただし、いずれにしても民間信仰による俗信であり、仏教とは本来関係がない。
賽の河原は、親に先立って死亡した子供がその親不孝の報いで苦を受ける場とされる。そのような子供たちが賽の河原で、親の供養のために積み石(ケアン)による塔を完成させると供養になると言うが、完成する前に鬼が来て塔を破壊し、再度や再々度塔を築いてもその繰り返しになってしまうという俗信がある。このことから「賽の河原」の語は、「報われない努力」「徒労」の意でも使用される。しかしその子供たちは、最終的には地蔵菩薩によって救済されるとされる。ただし、いずれにしても民間信仰による俗信であり、仏教とは本来関係がない。

こちらが地蔵尊堂になります。

蟇股に幼子が鬼に苛められ地蔵に助けを求めている様子が彫られています。

ロウソクと線香の煙に包まれています。

大小約2000体のお地蔵様。お地蔵様だけではなく、遺品と思われる物も数多くありました。

こちらは水子人形堂。

未婚の霊が結婚適齢期に達すると神様が夫婦として結びつけてくれるという冥婚の伝説により多くの人形が安置されています。人形は地蔵尊堂の隣の建物に売られていました。住職さん?に中に入ってみなさいと薦められましたが、気分的に奥の部屋までは入れませんでした(汗)

心霊スポット的扱いをされることも多いのですが、決して怖い場所ではありませんでした。命の尊さを感じることができます。

そこにあるのは恐怖ではなく、うまく表現できませんが…底知れぬ悲しみや寂しさ…そして何より【愛】だと感じました。気がつけば心より御霊を弔い手を合わせている自分がいました。

住職さん?(寺務所のお方?)がとっても明るく優しい方だったので、最後はなぜかホッとしました。恐山のように多くの人に見て、参詣して頂きたい場所だと思いましたね。

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