ある文献を読んでいましたら尾上町の八幡崎字本林に馬耕伝習所跡があるとのことで見に行ってみました。
※『この馬耕伝習所は、明治十二年(1879)に、当時の南部地方の農耕法が旧態依然として後れていたのを憂慮した郡長唐牛桃里が、この地に教習所を設け、熊本県から犂(からすき)を取り寄せるとともに、講師を招いて、馬耕技術者を養成した所である。いわば、農業技術者の養成所であり、農事試験場といった所であった。「猿賀十七組内地誌」によると、教習所は木造柾ぶき平家建て、建坪40坪で、当時の建物としては大きな建物であったという。その敷地は東西16間、南北17間半、面積200坪とある。この養成所の東方は当時原野であり、この地を開墾し、藍・麻・茶・桐・桑、養蚕などの栽培や殖産の技術まで教習したと記されている。また、旧猿賀村聖跡要覧によれば、明治14年(1881)9月9日午後、明治天皇東北御巡幸の折、当教習所に御小休なされ、馬耕術伝習の実況を御覧になられている。したがって、天皇の玉座とされた。間口2間・奥行4間・床面積8坪の室は、「聖蹟記念館」と命名され、昭和9年(1934)7月13日、文部省嘱託上田三平が聖蹟調査のため来村し、同11月1日付をもって、文部省の「史蹟」に指定された。翌10年2月25日、村議会の議を経て、記念碑を同年9月に建立した。石材は文部省指定の茨城県・岩手県産の花崗岩。』
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明治12年(1879)当地方の産業振興の為、教習所として建設されました。
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明治14年(1881)9月9日、明治天皇第二回東北ご巡幸で農民の馬耕操作を天覧されています。東北農業に馬耕が導入されたのはこの頃になります。
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明治16年(1883)6月18日、八幡崎外七ヶ村連合として十七組となり戸長役場及び郡衛生事務所となります。
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明治17年(1884)11月11日十七組を廃し、八幡崎外七ヶ村戸長役場となり戸長公選となります。
明治22年(1889)4月町村制施行に伴い猿賀村役場となります。
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