新鍛治町です。

新鍛冶町と申しましたが新鍛治町の近郊とお考えください。

お昼の新鍛治町近郊をブラブラ散歩でございます。

南は桶屋町と銅屋町、北は鍛治町。

東は北川端町と南川端町、西は鍛治町と桶屋町。

慶安2年の弘前古御絵図には「新かち町」とありますが、これは新鍛冶町ではなくて鍛治町を指しています。

寛文13年の弘前中惣屋敷絵図では屋敷割りされていますが、新派町と総称されています。

延宝6年の弘前町方屋敷割で現在の町域ができていますが町名は大工町と見えます。

宝永2年の国日記より新鍛冶町と称するようになった記録があります。


ももくり横丁付近。

「琴美容室」の絵がレトロ。

「こんな村本店」の裏手。現在は空き地。

横の細い路地から表玄関へ通り抜け可能です。

それにしてもこの看板は意味がないと思われます。


「城東閣」の通り抜け。

鍛治町側入口と…

新鍛治町側入口。

年代物の販売機が放置されています。

近年まで営業されていた「ラーメン大清」の看板が静かに眠っていました。

ラーメンより焼きそばをよく食べましたねぇ。

隣にあったバンビ保育園(鍛治町側)と新鍛冶町側の建物が無くなり、駐車場として繋がったので、城東閣の通り抜けはあまり使わなくなりました。



「季節料理川崎」の右隣の高層マンションはかつての「紅屋弘前店」。

新鍛冶方面からも紅屋に入店可能で、裏口には「フローリストクロタキ」がありました。

また、現在のダイヤモンドビル向かいの駐車場が紅屋の駐車場でした。

川﨑の左隣は福島ビル。

福島ビル1F「マイルストン」2F「JAH」、福島ビルの更に隣の角に華貴屋。

更に土淵川方面へ行くと「三上ふとん店」、現在もある「きりまんじゃろ」、「小原流いけばな教室」、「雀荘オーケー」、「さそり座」がありました。

当時の紅屋向かいの銀水食堂、蛯名こんぶ店等は変わらず。

とり畔の隣に「はむら食堂」がありました。

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