弘前市新寺町にあります法源寺。
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専徳寺の西隣に位置し、本尊は阿弥陀如来。
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安土桃山時代~江戸初期まで青森市の油川村に真宗大谷派遍照山法源寺と真宗大谷派法涼山円明寺がありましたが、法源寺は天正10年(1582・安土桃山時代)に浪岡村(後に弘前市新寺町)、円明寺は慶長11年(1606)に弘前の元寺町(後に弘前の新寺町)へそれぞれ移転した記録があります。
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弘前城北内門にあった賀田御門が元々大浦城(築城文亀2年(1502)、廃城が元和元年(1615))の大手門であったことは有名ですが、こちらに残る門も大浦城の棟門が移築されたものとされています。
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規模はかなり小さいもの。とはいえ、江戸時代の男性平均身長が155cm、日本の在来馬が体高100~135cmくらいですからねぇ。
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現在から見ればポニーに乗った小人みたいなものなんですよ。
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暴れ坊将軍のオープニングのかっこよさとは乖離しております(笑)
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伊達政宗だって159cmだよ。豊臣秀吉なんて140cm…。
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寺院庭も立派なのですが…冬に行ってしまいました(笑)
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法源寺。新寺町寺院街の西端に位置。専徳寺の西隣。真宗大谷派。本尊は阿弥陀如来。もと真教寺末寺。
浄土真宗一派縁起によれば、油川村(現青森市)に文明13年(1481)敬了によって開基。天正10年(1582)浪岡村に移されたと伝えます。藩祖津軽為信により弘前城下へ移転され、慶安4年(1651)現在地に。3代藩主信義の代に4世住職祐甫のあと無名跡となり、本寺の真教寺六世住職乗玄を後住に計画しましたが、乗玄は秋田久保田の専念寺の弟子了意を推し、以後法源寺は御目見寺になったといいます。
塔頭として玄徳寺がありましたが廃寺に。正徳元年(1711)の寺社領分限帳によりますと、為信が慶長年間(1596―1615)大浦村より寺町(現元寺町)へ移したといいます。
「津軽一統志」に飯詰村(現五所川原市)と浪岡村に念仏道場を持っていたと見えます。年代は不詳ですが、富籤興行が行われ、申年7月15日開札の富札が現存。新撰陸奥国誌」では開基敬了を加賀国の生れで、蓮如の弟子とします。また、寺町に移った年代を慶長11年、現在地に移った年代を慶安3年とします。
寺宝として2代藩主津軽信枚から拝領した七条袈裟、本山から下賜された宗祖親鸞の絵像があります。
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