平川市大光寺にあります。
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本丸・二の丸・北の郭・東郭・小館で構成。
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現在は堀は埋められて、土居は崩され、宅地あるいは畑となっている状態です。
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建保5年(1217年)、平賀郡岩館に相州曾我氏一族平広忠が地頭代として入部、曾我氏を名乗ります。その後曾我氏は大光寺の本家と岩館の分家に分かれました。しかし、大光寺の本家は北朝方、岩館の分家は南朝方につき、同族での争いが始まったのです。
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永禄・元亀年間(1558~73年)大光寺信愛・光愛父子が城主を務め、南部氏から送り込まれた滝本播磨守重行がこれを補佐。城下家数90軒、石高1万5,6千石(2万超とする文書もあり)を誇り、田舎館城浅瀬石城新屋城尾崎城高畑城、沖館城、乳井城杉館、三ツ目内城を配下に置き津軽三大名の1つでした。
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天正4年元旦の信念祝賀中に大浦為信に奇襲され、尾崎城、新屋城などと共に落城。
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同7(1579)年に滝本重行は北畠顕則等とともに津軽回復を目指して津軽に侵攻し、乳井城・乳井茶臼館乳井古館を制圧しましたが、直後の「六羽川合戦」で大浦勢に敗北し、再度比内に遁走。
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天正10年(1582年)には乳井館主乳井建清が城主。慶長4年(1599年)には津軽為信の娘婿津軽建広が城主となりますが翌年大光寺城を去ります。
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慶長15年(1610年)に弘前城築城のため破壊され建材が利用されました。また、弘前城亀甲門が大光寺城の追手門を移築したものであることは有名です。本丸御殿の欄間は弘前の専光院に使われたそうです。また、有名な誓願寺の鶴亀門も大光寺城にあったものと言われています。
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大光寺城は築城期によって大光寺古館・大光寺新城・大光寺五日市館に分かれます。大光寺古館は大光寺区北の観音堂付近と言われています。保食神社周辺の東西300m、南北250mの三角形の範囲と言われていますが遺構はありません。
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大光寺新城は大光寺三村井にあった平城。大光寺五日市館は大光寺の北西にあり、川に囲まれた地域。
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発掘調査では打ち首にされた頭骨や陶磁器などが出土しています。
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