檜山城跡とその近くにある大館跡、茶臼館跡、国清寺跡と合わせて国指定史跡になっています。
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築城は康正2年(1456年)、元和6年(1620年)廃城。名物はもちろん檜山納豆(笑)
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檜山安東氏は、檜山城を居城として檜山郡(現山本郡)後は秋田郡(現北秋田郡・南秋田郡・河辺郡)をも支配した戦国大名です。
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元亀・天正の頃(1570~1592)には安東愛李・その子実李が織田信長・豊臣秀吉の知遇をえて勢力を拡大し、文禄3年(1594)の検地では、約7万石に近い知行を安堵されました。
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檜山城は、室町時代から江戸時代初期にかけて長く使用された山城で、標高145mの山頂から延びる2本の尾根を中心に平場、堀切を設けて要害とし、蝦夷館式馬蹄形山城とも称されます。
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東西1500m、南北900の土地には素人目で見てもはっきりわかるくらい曲輪、土塁等が見事なまでに残っています。上館、茶臼館、赤館、古城などの小字名を残しています。
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本丸下の削平地。
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城の中核である本丸、二の丸、三の丸は南側の最頂部に位置します。
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ここまで歩いて上るも大変なくらい(※車で上れます)。
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それにしても本当に山ですねぇ…。
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旧土橋跡。
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少し離れた檜山崇徳館付近にある御札跡。
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本丸以下の南側とこれら北側緩斜面の間の尾根には櫓跡があります。
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三の丸。
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隅櫓跡。
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ここからの風景は「秋田三十景」「市民が選んだ新能代八景」に指定されていました。
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歩いていて思ったのですが丁寧に様々な跡地に標柱が掲げられているので、城に全然詳しくない私でも当時の様子をとても想像しやすくてとてもいいですねぇ。
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本丸の北東約1250m地点に安東家の菩提寺国清寺があり、西北西700m地点には霧山天神宮、その沢をはさんだ南側に多賀谷氏の菩提寺多宝院があります。
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さらに、霧山天神宮と多宝院に挟まれた舌状台地には安東氏時代の御用場跡があったと推定されています。これらについてはまた後日記事にしますね。
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多賀谷氏の御納戸役などを代々務めた窪谷家の子孫の窪谷格也氏が、城跡を保存しようと山林買収に力を注いだそうで、親族が窪谷家の菩提寺である多宝院から分骨し、檜山城三の丸跡に墓を建立。
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※檜山城跡半分以上は窪谷家の所有地で昭和41年には、本丸や二の丸、三の丸の跡が窪谷家から市に寄贈。
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