創立年不詳ですが安永以前に勧請された神社で、本殿奉斎神鏡に安政7年(1860)正月吉日と銘記があります。
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何やら電線がからめられている鳥居(笑)
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何か物足りない鳥居(笑)
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住吉神社もかつては富田村で延享2年7代藩主信寧が堂塔を建立しています。住吉神社内の護穀神社は寛延3年建立。松尾神社は享保4年建立。
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明治初年の国誌によれば富田村の北の方に稲荷神社があったという。これがこの稲荷神社でしょう。
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祭神は倉稲魂神(うかのみたまのかみ)、保食神、猿田彦命、大宮姫命。明治初年には原平村の加茂神を相殿として合祀しています。
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住吉神社の地続きには普光院が置かれていましたが、寛文13年弘前中惣屋敷絵図には住吉神社~稲荷神社一帯に「行人五智如来堂」とあり、普光院はこの後裔と推測されています。
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何度か訪れましたが宵宮はなかなか賑わっている様子。
本殿横にある馬頭観音と三猿が彫られた庚申塔2基。
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めんショップかがや、御膳水のところから住吉神社方面へ行く細い路地沿いにあります。いや、むしろこの細い路地がそのまま残っているのは富田稲荷神社の影響でしょうね。
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古地図を見ると東海健蔵氏(元川崎医院)と福島藤助宅に挟まれている形ですね。現在よりも境内がかなり小さめに描かれています。
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向かいは大正時代に建てられた長安倶楽部(現弘前保健所)。あっ、御膳水が温泉マークだ。
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