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能代市二ツ井町仁鮒にあります。
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創立年月日は不詳。
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銀杏山神社(いちょうざんじんじゃ)は大和朝廷時代、阿部比羅夫が蝦夷征伐に遠征して来た際に(658年)、勝利祈願の為に建立したとの言い伝えがあります。
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境内にある3本の銀杏の木も、その時に植えられたものだとか。また古くは「五社堂」と言われていたとか。
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銀杏は樹高25m、根回り9mもある巨木。
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3本の内の1本は「もとめ木」と言われ、枝もとから気根が乳状に下がり、その先端から樹液が滴るので、お乳の少ない女性が願いを書いた紙を枝に結びつけ、白い布で作った袋をかけるとお乳がでると信じられていました。
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そのため、参拝する人が絶えなかったといわれています。
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江戸時代、藩主佐竹候の奥方も祈願に詣でたところ、その願いが叶えられたことから、当神社は佐竹家の家紋の使用を許されたと言われています。
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他の2本(男銀杏と女銀杏)は、枝状に結びついてることから「連理の銀杏」と名付けられています。
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この2本の銀杏の周りを息を止めて8の字に3周すると願いが叶えられるという言い伝えもあります。
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文化2年(1802)に菅江真澄がこの地を訪れ、「みかべのよろい」に銀杏の絵と文を書き残しています。真澄遊覧記では「村鎮守五社堂(銀杏山神社)は阿弥陀・薬師・観音・勢至・地蔵の神とも仏ともあがめまつっている」と記されています。
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