万治2年の津軽弘前古絵図に町割りだけが見られます。寛文13年の弘前中惣屋敷絵図では取上御派(とりあげおはだち)として屋敷割りが見え、東端の取上村との境に桝形が設けられています。
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山師猫右衛門が住居していたことから猫右衛門町とも呼ばれていましたが、元禄16年2月には松森町と改称。松森町の町名由来は不明ですが松盛町と書いた例も多く残されているとか。
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手工業者、造酒、醤油、魚、豆腐、蕎麦切等々の商人、髪結、湯屋、瀬戸焼などの業者と様々な職の人々が住んでいた歴史を持ちます。
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明治10年知類小学が開設。明治12年の教員数は男6名。生徒数は男158名、女30名。
大正6年、昭和3年の富田町からの出火で類焼しましたが、以後は商家街として発展を遂げてきました。
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道筋は旧国道7号線の一部でしたが、昭和55年弘前バイパスの開通によって町の様相は変化しました。それでも昔の雰囲気をどことなく残している松森町。
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現在も「営業されている」・「されていない」・「存在しない」に係らず、私の僅かな記憶を蘇らせながらブラブラ散歩していきます(笑)まずは昭和10年古地図でも現在の場所に残るスーパー佐藤長。こちらは現役。
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現在は営業されていなくても昭和10年古地図にその名前を見ることができる建物が多く残っています。
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佐藤長の隣の「コスメティックビューティーハウスタカラヤ」。
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更にその隣の「土屋産婦人科医院」。
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佐藤長裏手には「伊藤眼科」、「土屋医院」…
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更には「公衆浴場 東湯」。
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佐藤長向かいの「須藤呉服店」の建物も独特。
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須藤呉服店の隣には「外崎商店」、「宮野菓子店」、ちょっと離れて「まつやま食堂」、「石岡わたふとん店」…。
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こちらも長いです…「うちのタマ知りませんか?」…相当長いこと見つからないようです(笑)
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「うちのタマ知りませんか?」の向かいは、昔三菱石油のガソリンスタンド、そして岡本内科医院。現在はファミリーマート。その隣のヘアーサロン・スワンは建物が残ります。他にも「K」や「サロンアルファー」などこの付近は美容室が多かったと記憶しています。
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その隣は居酒屋(「酒処うづき」、「居酒屋雨やどり」、「水曜日の朝」、「居酒屋あき」など)が入っていたビルがあります。
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2Fの雀荘「平和」は現在も営業していると思います。ねぷた期間等にこっそり芸能人が現れたりする雀荘です(笑)向かい(三鉄金物店隣)に「やきとり ゆうじろうの店」があった気がします。
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平尾松月堂は昭和10年古地図では松月堂菓子店と表記されていますね。
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「三忠分店」はバリバリ現役。三忠の隣には「孝仁堂接骨院」、「マツシマ時計店」などがあり、向かいは「福田屋商店」です。
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福田屋商店の隣に整骨院があって、「中川歯科」があり、現在の「美濃吉(前は田中薬局隣)」のところは一つ前はサークルK、その前は立派な酒屋の建物だった気がします。美濃吉の向かいは「高木商店」。
昭和25年と現在の高木商店。
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建物が今とまったく変わっていなくて、店前のオート三輪がなければ現在もそのままの風景。
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建物の側面。
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美濃吉の筋向いの藤田薬店はつい最近取り壊していました。この交差点から更に貴船神社の方向も昔の方が賑やかだった気がします。ちなみにこの旧国道7号線の交差点は微妙にくいちがっているのですが、これは元禄の頃まで城下の出入口の番所があった名残です。
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さて、キングの前まで戻りましてこちらの交差点。少し前まではこのような形ではありませんでした。
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大学病院・弘前大学まで抜ける道はありませんでした。現在もなにげに残っている細い一方通行の道が唯一の道。僅かに残る小さなスナックと不自然な路肩の広さに名残を感じます。
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そして現在の交差点の所にはマルエスがありました。このマルエスは御幸町側にも松森町側にも入口がある建物でした。その隣には三ツ矢タクシーがあり、更にその隣(取上側)には「中華第一楼」、「えび新寿司」、「サラマンダー(2F)」、「松野つり具」などがあり、比較的新しい「石岡歯科医院」へと続いてます。向かいは今と変わらず「キング」。キングはともかくとして「ほっかほっか亭松森店」がとても息が長いと思います(笑)
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石岡歯科医院よりちょっと先の大和理容館の建物は趣深いです。
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一方、マルエス逆隣(土手町川)には色鮮やかなインコがいっぱい売られていた「桐原小鳥店」、「葛西ドライクリーニング」、「松森会館」、「鈴木鋸刃物店」、「羽賀音商店」、「織田商店」、「加藤米穀店」、「黒沼質店」、「佐藤よしや質店」、「木村呉服」、「弘前公益社」、「清藤造花店」、「末吉商店」、「旭電器店」、「さいとう理容室」、「ラーメン宝龍」、「齋吉書店」。
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黒沼質見せは大正7年建築で、2階前面の格子や暖簾が特徴的。
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よしや質店は明治期建築で、幅4尺のこみせ、店先と2階の格子、暖簾が一体となって趣があります。
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齋吉書店でよく映画の前売券を買ってたなぁ(笑)
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かつてのマルエスの向かい…現在のローソンの場所には「喫茶ともだち」、「サロンドいまい」、昭和10年地図にも残る「佐山呉服店」。「五輪商事」の駐車場の隣には「松木皮膚科」、「岩淵外科胃腸科医院」、「福士内科小児科」と病院が建ち並び、「双味庵」「弘前公益社」「ノイレングバッハ」と続きます。
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裏手は大町や楮町。
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っていうかこの標柱(笑)…見つけるの困難。
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有名な千葉家住宅(こうじ屋・昭和3年建築)の前にありますよ。
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楮とは、その川から紙を製造する木です。
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このあたりは四代藩主信政時代楮の畑にしましたが、町割が拡張されることにより畑に家が立ち並び、元禄13年(1700)楮町と名付けて開かれたところです。
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ってことで大雑把に紹介してきましたが、昭和10年古地図と見比べて、ここまで現在に名を残している町も中々ないと感じましたよ。近年まで発展をし続け、活気溢れる街であった証拠ですよね。またあらためてじっくりと歩いてみたいです。
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