新坂新町坂(荒町坂)に挟まれている藤田記念庭園。
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江戸期ははじめ町人地。※下の地図は昭和10年地図。イメージ 16
慶安2年の弘前古御絵図には「さやし町」と記されています。
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由来は鞘師が居住していたこと。当時鞘師11軒、飾屋と武家が各1軒。
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慶安2年の寺町大火後に鞘師が上鞘師町と下鞘師へ移転し、これに伴い武家屋敷地となり、寛文13年には上白銀町と改称。
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寛文13年弘前中惣屋敷絵図には8軒の武家屋敷と西端に重臣津軽玄蕃の下屋敷があります。下の古地図でも「津軽玄蕃」の名が見てとれます(見えにくいですが写真左上)。
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宝永2~4年に郭内重臣屋敷の郭外移転が行なわれ、町内は東から順に森岡(家老)・添田家(家老)と藩主一族津軽中務の屋敷地が配され、津軽玄蕃下屋敷は新長屋に。古地図を見ると荒町坂上のすぐ左に新屋敷という長屋があります。敷地内には井戸のマークも2つ見受けられます。
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西端の新長屋跡(稲荷神社がありましたが西の郭に移された後に、田町の八幡宮へ合祀)には明治21年に弘前招魂社(現護国神社)が建てられますが、同43年に城址北の郭に移転。
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大正8年(1919年)、藤田謙一(日本商工会議所初代会頭)別邸となり、藤田氏が亡くなった後は弘前相互銀行(現みちのく銀行)倶楽部となります。
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昭和54年(1979年)に頭取の唐牛氏が亡くなった後はほぼ放置状態となりますが、昭和62(1987年)に弘前市が買収・復元し、平成3年(1991年)開園。
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総面積は約21,800m2(約6,600坪)あり、東北地方においては平泉毛越寺庭園に次ぐ大規模な庭園です。
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園内は高さ13mの崖地をはさんで、高台部と低地部に分かれており、高台部は岩木山を眺望する借景式庭園で、洋館、和館、考古館が建ち、建物の中を見学する事ができます。
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低地部は池泉回遊式の日本庭園。
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洋館は弘前市における代表的な近代建築の担い手である堀江佐吉の子孫が設計・施工にあたりました。
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ステンドグラス、窓ガラス等、現在でも当時からの物が多く残っております。
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現在、館内には、喫茶室、藤田謙一資料室があります。
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和館は木造平屋建で、昭和12年(1937年)板柳町に藤田謙一の本宅として建てられたものを昭和36年(1961年)に現在地へ移築したもの。
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松風亭。
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考古館には弘前市近郊から発掘された土器などがいっぱい展示されていました(館内撮影禁止のため写真はありません)。
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一昔前の様子。
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