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この地にあった持寄城は天険の要害に加えて、周囲には壕を、頂きには柵をめぐらした山砦でした。俗にメノコ館といわれ女酋長が居住して津軽の蝦夷を統括。
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元弘3年(1333)鎌倉幕府滅亡にさいし、その敗走の軍勢が津軽に落ちのび、最後まで抗戦したのが歴史に残る持寄城の戦いです。
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当時難攻不落といわれた持寄城の攻防も山上に築いた砦であったため、この年の異常気象には抗し得ず、建武元年(1334)11月18日夜、籠城の諸将も戦況の限界と、北条氏への恩顧に報いる努力を果し得たことを確認して、遂に砦に火を放って軍門に降ったといわれます。
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