かつて安渡湊と呼ばれていた大湊は北前船で賑わう商人の街。
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砂洲に囲まれた大湊は天然の良港。
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今回はそんな大湊より「ロマンス坂」の紹介です。
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大湊上町。
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市道連絡5号線。
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この地には、明治初頭以来、当時大湊地区唯一の演芸映画館があったそうです。
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映画を上映し、町民のくつろぎの場所だったそう。
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盛港館は上町青年団の集会場で、戦争当時のフィルムを上映する場がなく使用していたそう。
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その名称は新興劇場、ロマンス座と変わりましたが、現在も「ロマンス坂」と呼んでいること、また文化的歴史を残す意味から「ロマンス坂」と命名されたそう。
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坂上には釜臥山、坂下には海。
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そして坂の途中に変わった公園がありました。
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三叉路になっていて両方とも坂道。
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そして中央には階段。
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この三叉路を進めば左手にかつてのロマンス座(旧盛公館)があったと思われます。ではこの中間に位置する空き地の痕跡は一体何なのでしょう?
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雰囲気は神社です。で、ふと思ったんですが兵主神社に合祀した上町稲荷神社の痕跡と思われます。平成以降に合祀しているので、この痕跡にも納得ができます。
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僅かに残された石垣と階段に社殿の趣を感じます。港町ですし、解体しなければ危険な状態だったんでしょうかね。
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※調べたところによると…やはり稲荷神社跡でした。勧請年月日は不明。上町にて江戸中期~明治初期に持ち船で廻船問屋をしていた川村家(川村屋)がありました。川村屋の全盛には町内や関係者を招き盛大に祭祀を行なっていたそうです。後に川村家は衰退し、屋敷神の祭祀の維持管理が困難に。上町に移管し、大正7年4月にロマンス座に向かう途中に社殿を新築し遷座したと言います。更にその以後、町内でも維持管理が困難となり、平成5年12月に兵主神社に合祀。
兵主神社】参照。

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