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この辺りは、古くから清水の豊富な所として知られ、富田村に所在したことから、「富田の清水」と呼ばれて来ました。熊谷喜兵衛屋敷跡(慶安3~享保10年)。
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この豊かな清水は、4代藩主信政によって、初めて製紙法が導入されたさいに、紙漉きに使われるなどしましたが、その後、地域住民の生活用水として利用され、現在にいたっています。(標柱説明文より)
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貞享年間(17世紀末)初めて製紙法が導入した際に、紙漉きに適しているということで、熊谷吉兵衛ら(弟子16名)に使わせたのが始まりとされてます。
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熊谷吉兵衛の屋敷は隣の幼稚園。貞享3年(1686)から昭和初期頃まで製紙が行われ、その後は生活用水として利用されます。
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また並んでいる水槽は1番目が飲料水、2番目が洗顔用、3番目が漬物洗い、4番目が洗濯のすすぎというようにそれぞれの水槽に使用のきまりがあったそうです。
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昭和60年に国指定の名水百選に選ばれています。
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現在は後継者12人が紙漉町清水共有会を結成して維持・管理に当っています。
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幕末に10ヶ所以上あったとされるこの辺りの湧水も現在は御膳水とここの2ヶ所のみです。
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紙漉町標柱。
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四代藩主信政治政下の貞享三年(1686)紙漉師熊谷吉兵衛を弘前に招き紙漉に適した清水の湧くこの地に紙漉座を設け、各種の紙を漉いて、藩用にあてました。非常に良質の紙で幕府への献上品となったりしました。
しかし、明治に至って衰退し、現在は町名に名残りをとどめるだけです。
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