黒石市高賀野にあった平山城。
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城主は千徳伊予守行重。
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城は北へ突き出た舌状台地の先端にありました。
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城跡はりんご農園となっています。
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仁治元年(1240)、南部一戸氏流、千徳行重が築城。
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元応2(1320)年に城を拡張。 室町時代初期には南部家重臣桜庭氏が拠っていました。
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文明年間には、7代城主浅瀬石政久は大光寺城南部氏の代官として繁栄。
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戦国時代、10代城主浅瀬石政氏が永禄4年(1561年)、津軽為信と同盟(永禄の約)を結びました。
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すると南部信直は激怒して名久井兼隆を攻手として天正13年(1585年)、3000の軍勢で浅瀬石城を攻撃してきたものの撃退(宇杭野の合戦)。
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しかし、この合戦で為信が援軍を出さなかった事により後の不和の原因となります。
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慶長2年(1597年)、浅瀬石政保の代に、永禄の約を反故にされ津軽氏との同盟が破綻、寝返った浅瀬石氏重臣木村越後らが本丸を急襲、敵将森岡金吾などの津軽軍2500人の攻撃を受け、2000の城兵は奮戦しましたが落城、千徳政保は自害したため廃城となりました。
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昭和43年に明治百年記念事業として建てられた石碑。
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ちなみに私は「なかなかの坂道だなぁ~」って思いながら散歩していたら偶然辿り着きました。
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いい坂に歴史あり…坂道恐るべし(笑)
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さて、城は本丸・二ノ丸・侍屋敷・町屋敷・代官館・御堂館で構成。
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郭配置は本郭(主郭)を中心に北側に代官館・御堂館が、東側に二の郭・町屋敷が、南側に侍屋敷が配置され、それぞれ空堀で仕切られています。
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郭はどれも大型の方形郭で、居館を含む館城と考えられます。
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錆びすぎてよくわからないと思いますが現地にあった巨大案内図なんです(笑)
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本丸跡。
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侍屋敷側。
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紛らわしいですけど石垣は現住民の庭のものです。
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しかし段々の勾配があるが故の石垣造りは、城址に適した土地の記憶を感じさせます。
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浅瀬石城の主郭(侍屋敷)の堀跡。
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城址碑の前に残る舘神社と土塁。
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廃社となっていた浅瀬石城下時代の神明宮を復活させたもので、神社自体は明治百年祭の翌年にあたる昭和44年9月1日に建立されたもの。御祭神は天照皇大神と浅瀬石城主代々神霊。
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昭和10年代浅瀬石城址。浅瀬石村古賀野。
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