
乳井古館の北西に位置する半島状の尾根先端にあり、2つの郭で構成。


山城。戦国期、津軽為信が使用した城館。


さて、入口には曹洞宗盛祥院(木造如来坐像・地蔵菩薩立像)があります。弘前市西茂森の盛雲院(本尊釈迦如来、乳井美作建定とその夫人が開基)の末寺。盛雲院が弘前城下に移転した代わりに建立されたとも、乳井美作の追善供養のために明治年間に建立されたともいいます。盛祥院が移転する前の寺口墓地に乳井美作と同夫人(二代藩主信枚の娘富姫)の墓があります。

盛祥院の近くにこのような案内看板がありますよ。

そこからしばらく登り道です。


何やら見えてきました。

草木でできたトンネル。



乳井茶臼館城跡。

本丸跡になります。

現在は眺めのいい展望台です。


大鰐弘前ICがよく見えます。



※乳井城(弘前市薬師堂)
平山城。築城不明。
乳井神社の北方にある集落が城跡。東西の2郭からなり、その間に2本の空堀があったと言います。明治20年に西郭のほぼ中央を県道が開通し変貌しましたが、東には堀コと呼ばれる場所があります。
平山城。築城不明。
乳井神社の北方にある集落が城跡。東西の2郭からなり、その間に2本の空堀があったと言います。明治20年に西郭のほぼ中央を県道が開通し変貌しましたが、東には堀コと呼ばれる場所があります。

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