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乳井古館の北西に位置する半島状の尾根先端にあり、2つの郭で構成。
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山城。戦国期、津軽為信が使用した城館。
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天正7年(1579)に安東氏の命を受け、鹿角路から比山兄弟が津軽に入り、砦主出町豊前を追い出して占領しましたが、津軽軍(大浦勢)の間で戦いが起こり(六羽川合戦)、南部軍(比山勢)は大館に退去。
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さて、入口には曹洞宗盛祥院(木造如来坐像・地蔵菩薩立像)があります。弘前市西茂森の盛雲院(本尊釈迦如来、乳井美作建定とその夫人が開基)の末寺。盛雲院が弘前城下に移転した代わりに建立されたとも、乳井美作の追善供養のために明治年間に建立されたともいいます。盛祥院が移転する前の寺口墓地に乳井美作と同夫人(二代藩主信枚の娘富姫)の墓があります。
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盛祥院の近くにこのような案内看板がありますよ。
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そこからしばらく登り道です。
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何やら見えてきました。
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草木でできたトンネル。
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乳井茶臼館城跡。
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本丸跡になります。
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現在は眺めのいい展望台です。
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大鰐弘前ICがよく見えます。
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※乳井城(弘前市薬師堂)
平山城。築城不明。
乳井神社の北方にある集落が城跡。東西の2郭からなり、その間に2本の空堀があったと言います。明治20年に西郭のほぼ中央を県道が開通し変貌しましたが、東には堀コと呼ばれる場所があります。
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