
弘前市取上にあります貴船神社。昔の参勤道路(貴船神社から右に折れる小路。この小路から松原の坂(百年山)で新参勤道路(桝形経由)と繋がります)沿いにあります。

取上町内の産土(ウブスナ)の大神(地域お守り下さっている神ということ)貴船神社は寛文4年(1664年)319年前勧請せられ三嶽18番地に鎮座されたもので守護神として深く敬仰されておりましたところ参拝者の便宜を与えるため明治13年豊田126番地へ社地引換えの儀出願のところ明治13年6月26日御遷座をおこなって以来地域内の篤い崇敬を受け今日にいたっております。

御祭神は闇おかみ神(クラオカミノカミ)通称龍神様であります。農業をはじめ業務繁栄家内安全開運厄除諸難退散の御神徳のある神社であります。

御本社は京都市左京区鞍馬貴船町 貴船神社旧官幣中社であります。


貞享4年検地水帳によあれば村中抱えの座王堂地と稲荷社地があったとされます。座王堂は現在の貴船神社と思われ、寛文4年の勧請。



国誌によれば貴船神社は明治初年には村の南の三岳堂溜池近くにあり、現在三岳町にある三岳神社は当初貴船神社が建立されていた旧三岳堂溜池付近にあり、祭神は倉稲魂命、創建は不詳ですが貞享4年検地水帳の稲荷社の系統を引くものと思われます。


本殿

稲荷宮


馬頭観音堂


とっても広い公園が隣接、また、公園が公道よりもかなり低地になっており、小さなお子様も遊べるような雰囲気がいいですね。この高低差は元々溜池だったからでしょう。ちょっと昔の地図を見ても池として描かれていますが、近年埋め立てられたのです。溜池は十和田様と呼ばれていました。池の水は弘前大学教育学部附属小中学校グラウンドの裏手、更には松原方面から流れ込んでいたようです(洞喰川及びその支流)。また、大和沢川の扇状地の伏流水の湧水点でもあったようです。

『水神・竜神 十和田信仰』(小館衷三著)より。

御祭神は闇おかみ神(クラオカミノカミ)通称龍神様というのも納得です。かつては座頭石の尾神神社が竜神様の尾で、市内の湧水は竜の頭と言われ大切にされてきました。ここ貴船神社の十和田様もその一つのようです。もしかして境内にあったこの竜の頭はそれを意味するのでしょうか。っていうか埋め立てていいのでしょうか?(笑)


昔から「取上」は首を取り上げていた処刑場だから取上と呼ぶのだという都市伝説的なものを耳にします。処刑場は現附属小中学校グラウンドだったという噂も聞いたことがあります。噂は本当なのか…ちょっと取上の歴史を辿ってみました。

戦国期の天文年間の津軽郡中名字に「取挙」とあります。江戸期から明治22年の村名「取上村助五郎」とあります。はじめ堀越村で昭和30年から弘前市の大字。小字として安原、東田、奥野、豊田、沢田、三岳、西田、早稲田。

取上村には弘前藩の刑場が置かれていましたが、国日記によれば、寛文4年(1664)には八幡館村の彦四郎が親不孝の科により取上で火罪に処すとあります。元禄9年(1696)には次郎という者が火罪にて牢屋に入った後、処刑前日に牢屋にて病死するも、その死体に頭巾を被せた上で、予定通りに町内を引き回した後に処刑されています。なかなか残酷な話ですね。なお、貞享4年(1687)の小字は安原、東田、広野。



都市伝説的かと思いましたが、まんざら嘘ではないのですねぇ。附属のグラウンドも取上ですし。刑場も実在していました。


但し、『津軽ふるさと散歩』では貴船神社から花田商店裏あたりまでが刑場跡としています。

実際に貴船神社横にあるこの地蔵堂・弘法大師堂は花田商店から移されたものであり(入魂式・平成元年7月19日)、元は処刑された人々の冥福を祈るために建立されたとの言い伝えも残るようですがその真相は不明です。




なお、「取上」という地名と「首を取り上げた処刑場」という関連に関しては年代からしても後付けのような気がします。


