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創建大同2年(807)坂上田村麻呂が東夷東征の際、この地に宇佐八幡宮の分霊を勧請して国家鎮護の祈願を行い祠を建立したのが始まりと伝えられています。
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以来、歴代領主から信仰され、中世は浪岡城主となった北畠氏から崇敬庇護され社殿の修復や社領の寄進が行われました。祭祀には家老赤松隼人が取り仕切っていたそうです。
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江戸時代に入ると弘前藩主である歴代津軽家の祈願所となり、慶長19年(1614)に2代藩主津軽信枚が社殿を再建以降、寛永、元禄、寶暦、寛政、嘉永の改修には藩費によって賄われました。
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藩政時代には、浪岡八幡宮、弘前八幡宮白八幡宮(鯵ヶ沢)が津軽三八幡といわれていたそうです。
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明治時代に入り郷社に列し、昭和13年には県社に昇格しています。
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場所的には浪岡城址の西の端です。
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広い境内ですね。立派な神池があります。水神として十和田神社を祀っているそう。
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庚申碑(慶応2丙寅年7月4日、願主鎌田万藏他)もでかいっ!高さ180cm、幅175cmの自然石。猿田彦の碑(台座六角柱の二段。高さ70cm、幅38cm)は「天保14年9月廿日平野氏秀次」と刻みます。
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四の鳥居が壊れていました。
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竹やぶ…
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あっ、見っけ!(笑)
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立派な社務所近くに…立派な土俵!
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鼓殿。
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神輿庫かっこいい!(笑)
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拝殿とちょっぴり神饌殿。御祭神誉田別尊。延暦12年創建。旧県社。
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本殿。
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現在も浪岡八幡宮境内を中心とした「浪岡北畠まつり」(8月14~17日)という盛大なお祭りが行なわれています。8月14日が浪岡八幡宮宵宮、8月15日が浪岡八幡宮例大祭。また、境内の悠忠神社では8月に浪岡遺族会によって浪岡戦没者慰霊祭が行われます。悠忠神社には戦没者560柱余が祀られています。
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浪岡では最も古い棟札(慶長19年)もあります。
来年の夏あたりにまた訪れたいと思います♪
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再訪記事:『行岳八幡宮(浪岡)

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