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禅林街にある六角堂です。
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俗称栄螺堂と言われますが実際は八角二重円堂。
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天保10年(1839)に弘前東長町の津軽藩豪商中田嘉兵衛が商船の航行中に出た遭難死亡者や八萬人余の餓死者を出した天明天保の大飢饉等の供養の為に建立したとされます。
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栄螺堂江戸時代後期に東北~関東各地の寺院に建てられた特異な建築様式の仏堂。
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堂内は阿弥陀如来の胎内を意味する回廊で、順路に沿って堂内を歩くだけで巡礼が叶う構造となっています。
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屋根のひさし下には方角を示す文字があります。
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「撰」は南東。仏教では入口が東を向きます。
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本来は三匝堂(さんそうどう)と言いますが、螺旋構造や外観がサザエに似ていることから通称「栄螺堂」、「サザエ堂」と呼ばれています。
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会津若松市の三匝堂は二重螺旋構造の斜路が続き、右回りに上る斜路と左回りに下りる斜路が別々に存在する稀有な構造ですが、弘前の栄螺堂は右回り廻廊から中央設置の階段で出口に向かう簡単な構造になっています。
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それでも方向音痴になる私(笑)
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かつて八大尊があった場所には飢饉で亡くなった子供を供養する石灰の仏像や菩薩像等が安置されています。
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入口正面にある聖観音菩薩。
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中田嘉兵衛像。
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天井には墨の色も薄くなった竜と雲の絵が描かれています。
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内部は通常公開していませんが、見たい方は蘭庭院へ問い合わせて鍵を借りてください(但し、案内はありません。また積雪期間は見学不可です)。
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蘭庭院二十二世拙雄和尚が毎朝線香を手向けて読経していたのを機に管理を命じられています。
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毎月18日にお勤めするほか、9月5日に大祭を開いて供養しています。
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