まずは最勝院護摩堂。
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旧大圓寺の本堂になります。
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『密厳舎』額。享保年間に書道の大家である長勝寺19世拈笑呂山が書いたもの。密教の大日如来の浄土が密厳浄土ということからきています。太平長者の銘も見えます。
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本尊は牛頭天王であり、疫病除けの御利益があるとされ近在近郷の信仰を受けてきました。
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牛頭天王は旧大円寺本堂の本尊であり、現在は最勝院がその本堂をそのまま引き継ぎ、護摩堂と名称を変え、現世利益の祈願道場として信仰を集めています。
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気づいたら屋頂宝珠が変わっていました(2015年)。
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さて、最勝院境内東寄りの一角(旧大圓寺仁王坂付近)には、もともと聖徳太子堂が建立されていました。しかし、境内整備に伴い五智如来堂、文殊堂、庚申堂、薬師堂、庚申塔等が移転。これらの諸堂石碑群は幾多の星霜を経たもので、境内の中でも最も歴史の重みを感じさせる区域です。
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文殊堂です。文殊菩薩は卯年の一代守護尊であり古くから信仰を集めていました。
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薬師堂(写真の右)。昔から目が通る(心願成就)ようにと、穴のあいた石を納め祈願されてきたため、相当数の石が納められている。本尊は十二大願を利益とする薬師瑠璃光如来。
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聖徳太子堂。五重塔建立の記念として建てられたと伝えられています。
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本尊は厨子に入り彩色の聖徳太子で、現在は五重塔の須彌壇に安置。
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この聖徳太子も古くから信仰を集め、現在でも大工等職人八職で構成された聖徳太子講が毎年4月初旬に行われ、太子の遺徳を偲ぶと共に、講員一同の身体健全、商売繁盛、家内安全を祈念しています。
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また、旧暦6月13日の牛頭天王尊例大祭宵宮にあわせ、聖徳太子堂前に講中信者が集まり交歓の宴を催し、古よりの祭りの一部として、連綿と聖徳太子信仰が語り継がれています。
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五智如来堂。かつては現在の保健所の場所にありました。
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本尊はもと五智山普光寺の本尊でした。しかし、普光寺は住職もなく廃虚となってしまったため、弘化3年(1846)5月にこの地へ移されたと棟札に残されています。
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現在のこの建物は最勝院第36世智猛和尚によって昭和7(1932)年5月に再建されたもの。
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六角堂(如意輪観世音菩薩堂)。建立後150年の間に2度の移転が行われました。
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本尊が如意輪観世音菩薩(以下如意輪観音)のため、具(つぶさ)には如意輪観世音菩薩堂と言い、元治甲子元年(1864)11月連光山大圓寺(だいえんじ)第21世朝昌導師のもと建立。
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頭梁は成田屋常吉、寶珠鋳師は坂本久右衛門及び櫻庭弥太郎、書画は外崎左馬之助。弘前城下本町の豪商一野屋の当主2代目一戸宇三郎庸友が嫡男運次郎の供養の為に建立したもの。 小屋裏からは棟札が発見され、 最勝院に伝わる伝承が裏付けされました。
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庚申堂と塔です。
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全体に小作りですが、海老虹梁や蟇股に彫り物、内部の彩色等は手の込んだ造りをしています。本尊は庚申信仰の中心である青面金剛。
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江戸末期に建立され、庚申信仰が盛行していたことを示す石碑群。
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