これまでもいくつか紹介しましたが、見応えある最勝院を更に2回に分けて御紹介します。
まずは最勝院本堂。
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昭和45年(1970)9月25日、時の真言宗智山派管長那須政隆猊下御親修のもと落慶法会を厳修した最勝院本堂。
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中央は金剛界大日如来、右に宗祖弘法大師空海、左に中興の祖興教大師覚鑁。
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寛文7年(1667)完成の五重塔。
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中央須彌壇には本尊胎蔵界大日如来、脇仏に稚児聖徳太子像、十王像が安置されています。五重塔は城の南方を見守る監視塔でした。
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今年、1階部分が公開されて中を拝見致しましたが撮影禁止だったためご了承を。
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鐘楼です。藩政時代から戦前まで森町に市民に時を告げた『時の鐘』がありましたが、戦争の供出により一時その姿を消しました。しかし、昭和31年(1956)に時の商工会が中心となり普請を行い、最勝院境内に復元しました。
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ちなみに基礎の石は、弘前公園本丸に建っていた藩祖津軽為信公の銅像の台座であったもの。後年この鐘楼、梵鐘は商工会から最勝院へ寄進され、現在は『平和の鐘』として開放され、一般信者も平和を祈りつつ心を込めて撞いています。
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こちらは本坊。
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正面玄関にはお守り等が売られています。
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仁王門と三十三観音。
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妙法蓮華経観世音菩薩普門品では観音の普現色身三昧より示現する三十三種の変化身により、衆生の悩みに応じて済度すると説きます。
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最勝院の三十三観音では、本来一番の楊柳觀音が三十三番となり、二番の龍頭觀音が一番、以下順にスライドしています。
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エドヒガンです。ソメイヨシノの片親でシダレザクラはエドヒガンが枝垂れたものであり、共に長生きする桜です。
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弘前市内には藩政時代に導入されましたが、当時のもので残っているのはこの桜だけです。推定250年。
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堀江佐吉碑です。弘前駅から巨石運搬のために延べ1,000人もの人夫を要したと言われています。
堀江佐吉は津軽の生んだ名工の一人。国指定重要文化財に指定されている青森銀行記念館などすぐれた洋風建築のさきがけとして、大きな足跡を残しました。明治41年(1909)5月壹日建立。
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現在も遺族によって先祖供養の為にと、この石碑の前で法要が行われています。
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最勝院境内に建立されている廻國修行大師像とその一画。
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弘法大師空海は真言宗開創の祖ですが、ただ単に宗教の人であるだけではなく政治、経済、文化などの面においても偉大な足跡を残された方。
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あれ?なんか変わりましたね。最初の写真が結構前の写真。この雪景色は最近のものです。
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本堂の裏手は当然墓地ですが、キリスト教徒の墓が一際目立ちます。
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弘前の歴史はキリスト教文化と深く係りを持ちますが、その共存の象徴とも言える風景です。
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