二ツ井にあります鎧神社。御祭神は泉の冠者泰衡乃霊・豊受姫神。創建不詳。明治43年7月9日字槻ノ木神社を合併。昭和62年氏子崇敬者により新社殿再建。

案内版によりますと『「ある秋の朝、槻ノ木村の1人の百姓が目をさまし、小便に起きた。そして槻ノ木村の方を見ると、まだ霧のおりているその大木の根かたにキラキラと光るものが置かれてある。いぶかりながらそばへよってみると、それは1かさねの大きな鎧であった。おどろいた百姓はそれをとりおさめ、以来鎧は槻ノ木村の神様としてまつられるようになった。」その昔奥州平泉の藤原泰衡が源頼朝に攻められ、平泉から比内のにえの棚に落ちてゆく。がそこで部下の河田次郎の裏切りにあって討たれてしまう。鎧はその泰衡のものとされている。』とあります。

同じく案内板によりますと、鎧神社は天保12年に建立され、文久元年に現在の地に移され、老朽化により薄井氏子一同検討の上、昭和60年代に全面改築を行っているそう。

切石の兜神社、薄井の鎧神社はいずれも藤原泰衡に由来しています。疲労甚だしく鎧を薄井に置いて逃げたといいます。

御神体の鎧は、毎年5月2~3日に開帳されるそうです。見てみたいですね。

なお、近くには清徳寺もあります。本堂は文政元年(1818)建立。秋田藩の家老梅津政景の開基による曹洞宗寺院。

戊辰戦争に際し、二ツ井町は南部藩に攻め込まれ、迎え撃つ官軍との激戦地でした。「肥前八勇士の墓」がここに祀られているそう。東北巡行の際、明治天皇は同じ肥前(佐賀)出身で随行していた大隈重信を代拝させたそうです。

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