春は桜 夏は蓮 そして百日紅へと華で彩られゆく夢物語…革秀寺。
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革秀寺は山号を「津軽山」と言い藩祖為信公の菩提寺。為信公の遺言により岩木山の眺望の美しい現在地に二代藩主信枚公が亡父藩祖為信公追善のため、長勝寺八世格翁禅師を開山として慶長年間に建立。
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周囲約300mの広大なはす池が素晴らしいです。
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山門
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鐘楼
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本堂
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革秀寺本堂は、津軽藩政初期の慶長3年(1598)に建てられた後、藤崎村より移築された典型的な曹洞宗の寺院です。
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九間(約16m)に八間(約14.5m)の入り母屋造り、茅葺き、平入りで玄関に掲げている山号の扁額に東徳宮道と藩款があります。
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津軽地方における曹洞宗本堂の典型として価値の高い遺構です。
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境内・本堂・位牌堂は拝観自由ですが、津軽為信霊屋は非公開で、拝観は事前に寺務所に申込みます。近くには革彦稲荷神社もあります。
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極彩色の美しい霊廟は桃山風霊廟建築として県内最古のもの。
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左手の土塁と板塀に囲まれた津軽為信霊屋は、入り母屋造り、妻入りで、正面に軒唐破風をつけ、屋根はこけら葺。
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内部は壁に板卒塔婆が張り巡らされ、宝篋印塔が安置されています。
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建築時は質素なものでしたが、文化年間(1804~17年)の修理で、木部はすべて漆塗り、内部は極彩色の華麗なものになったといわれています。
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霊屋内に弘前城の館神であったという「木造太閤秀吉座像」(台座とも約20㎝。太閤が生前彫らせた三体の肖像の内の一体で三成に与えられたもの)が安置されています。
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 弘前城築城400年祭の企画「弘前は歴史と文化のびっくり箱」で秀吉座像を間近でじっくりと拝見してきましたが、撮影不可でしたのでご了承を。
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木造太閤秀吉座像(木造豊太閤座像)は想像以上に小さいものでした。束帯姿の座像で像高わずか7cmの木造、冠は金泥、袍は白地に花丸紋を薄く描き、胸に大きく桐紋を金泥盛上彩色しています。
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内部天井(※写真の写真)。
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津軽藩は豊臣贔屓の大名です。津軽藩は関ヶ原の戦いに敗れた石田三成の遺児を匿りますが、これはその遺児がもたらした豊臣秀吉像です。秀吉像は徳川幕府にはばかって隠されて弘前城の舘神(屋敷の守り神)の稲荷の中に祀られていました。それが明治4年(1871年)になって厨子堂の中から出てきたのです。(稲荷様はつがるのほとけで展示されていました。撮影不可でしたが)
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石田家と津軽家のことに関しましてはこちらでも触れましたね
参照記事:「長勝寺・宗徳寺
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革秀寺の門も、廟の入り口も、高照神社の鳥居も、みな東向きに城の方を向いているそう。神仏や祖先の霊が岩木山と神殿そして廟から下りて門を通り城へ向って流れ、城 (町)が守られ、町に恵みをもたらされるためだとか。
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