創建は不詳。

もと大円寺別院。旧津軽藩公代々藩主が悪疫封滅の祈願所として尊崇篤かったそう。ちなみに祇園社、天王社の総本社は京都・祇園の八坂神社ですが、この八坂神社は神仏習合に牛頭天王を祀っていたために天王社・祇園宮・広峰社とも呼ばれていました。牛頭天王との関連が深いのです。護法善神説的な。

明治4年に神仏分離令により八坂神社と改称され独立、大円寺は大鰐町に移転されました。

八坂神社の社号に転じ、大円寺別当増田精一が社人として奉仕せられました。

明治4年社殿を御造営 (氏子中一同)、昭和21年9月24日社務所番人の失火により全社殿を焼失、昭和24年本殿、拝殿を造営し、昭和25年社務所を新築し、現在に至ります。

八坂神社の御祭神といえば素戔嗚尊(須佐之男命)ですね。櫛稲田姫命はその妻です。神仏分離後に御祭神になりました。
この鳥居の位置関係…おもしろいでしょう。経緯がわかりますよね。

銅屋町・桶屋町・鍛治町・新鍛治町・北川端町・南川端町、六ケ町会を氏子として、六ケ町産土神として敬神されています。

旧暦6月13日は例大祭。頑なに旧暦(太陰暦)を守り密厳舎本尊牛頭天王尊の本来のご縁日を大切にしています。 通称「大円寺の宵宮(ダエジのヨミヤ)」、「五重塔の宵宮」として有名です。この宵宮は牛頭天王の例大祭(御縁日)。

さて、その関係性が複雑なせいか、参拝客の多くが最勝院本堂にてドラを撞いて…二礼二拍一礼…あれ?何かおかしくない?って思う方もいるでしょうね。

そして牛頭天王(旧大円寺本堂の本尊)が祀られし護摩堂(旧大圓寺本堂)には一切見向きもせず…更には元々牛頭天王が祀られし八坂神社には人がいなくてガラーンとして少し淋しい気も。

神仏習合・分離の歴史は複雑ですね。




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