岩木山神社です。
御祭神は顕国魂神、多都比姫神、宇賀能売神、大山祇神、坂上刈田麿命。
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「いわきさん」じゃなく「いわきやま」ですよ。岩木山を津軽の人々は「お山」と呼び、お岩木様とあがめて、ふるさとのシンボルとし、郡中の農民は農業神として伝統的な厚い信仰を寄せているのです。
まだ雪深い正月からこの社に詣でて、その年の豊凶の啓示をうけ、初夏の山腹の残雪の形で農耕作業の時を知るのです。また、田の灌漑に必要な水を供給して下さるありがたい神でもあります。旧暦8月1日に領内各村落から農作祈願のために、村人が集団で山頂に登拝するお山参詣という民俗行事は津軽最大の祭りとなっています。
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下居宮の別当寺であった真言宗寺院百沢寺(ひゃくたくじ)の楼門として、寛永5年(1628)二代藩主信枚により建立。
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五間三戸楼門、入母屋造、栩葺形銅板葺。桁行16.6m、梁間7.98m、棟高17.85mという壮大なもので、丹塗り一色の色彩と合わせて見る者を圧します。
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もう何回見ても圧巻。
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柱は総円柱で階上まで通し柱、組物は両階とも三手先詰物、上層縁廻は高欄。
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内部は格子戸で内陣と外陣に仕切られ、外陣は板敷、内陣は段違床板張り。
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百沢寺時代には上層に十一面観音、五百羅漢像を安置しましたが、廃寺に際して取り除かれ、階下に随神像を祀り現在に至っています。
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長勝寺三門と同時期のもので構造手法が酷似することから同一人物か同系統の技術者による製作と考えられています。
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随神像左右大臣。
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奥宮(山頂)までは4時間15分…意外に細かい(笑)
岩木山山頂の奥の院にあった御神体は新編弘前市史岩木地区資料編にて写真で見ることができますよ(奥の院の本尊は神道の風俗ながら昔のものは観音で、現在は大鰐町の専称院に保存。登山者が酒をかけて、餅を擦ったために法衣のひだが擦り減っています。御宮殿(長勝寺へ移りました)の四隅にあった四天王像も専称院にあります。)。また、奥の院は3年に1度、旧7月15日に建て替えるそうで、この行事をオムロ上げと言うそうです。オムロとは奥の院のことです。百沢地区から選ばれた10人程の若者が裸にマワシを締め、建築材を担いで山頂まで登るそうですよ。この役に選ばれることは大変名誉なことらしいです。古い建築材は自由に持ち帰ることが許されており、俎板などに使用する人もいるそう。縁起のいい俎板ですね。
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ちなみに岩木山はかつて武士や女性の登山を禁制。武士がのぼることを禁じた理由はわかりませんが、衆庶の風俗と区別するためであったかと思われます。女性も登山禁制でしたが、明治維新後に許されました。一般に登るようになったのは太平洋戦争が始まり、女が男の代参をする風習が生じてからと言われます。※女人は山門を潜ることも禁じていましたが、桟立を経て、姥石、恵美子石までは許されていたとも言います。
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五本杉。
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奉崇守山三柱大神之碑。守山とは森山の守山神社。森山は模擬岩木山と呼ばれ、岩木山のすぐ南にあります。岩木山神社の御神体は岩木山そのものであり、山頂は神聖な場所でした。みだりに人が登ってはいけないと言われ、代わりに森山を岩木山に見立てて登ったそうです。かつて森山中腹には守山神社(寛治5年(1091)創建)が鎮座しており、三柱が祀られていました。山田家が代々神主を務め、明治6年に岩木山神社に合祀されました。合祀された時の石碑がこの守山大神石碑で、森山の方向を向いています。なお、守山神社があった場所には小祠と守山大神の碑があったそうですが、熊がよく出没するそうなので私は未だ未確認です。ちなみに守山について菅江真澄が次のように記しています…『岩木山の外山の姿は、ちょうど小倉山(京都)をみるのと同じようであったが、それを守山といって、守山明神という社があり、その神に仕えている山田左衛門太郎伴定の子孫がいた。』、『守山(森山)にのぼり、守山明神の玉垣のあとをたどって、茂りあるおけらの露をわけ、ぬれながら栗列(ハマウツボ)をとり、柳葉菜(アカバナ)をとった。』
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拝殿内に飾られているこれ…
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絵だと思いますか?自分の目でお確かめあれ(笑)
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鮮やかな中門。
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北門鎮護。岩木山神社は北の守り。獏!
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上下からの魔物を見張る有名な狛犬。
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この奥には…
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素晴らし過ぎる本殿(写真の写真)。
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菅江真澄は『そのむかし建立したという3つの寺のうち、景光院は絶えてしまい、観音院は南部にうつされた。この百沢寺もたくさんの僧坊は天正17年(1589)火災にかかってあともなくなったが、いまの国の守の祖先、右京大夫為信が、本堂、下居の宮(岩木山神社)を再興されて、たいそう立派につくられた。また寺につらなって、宝積坊、西福坊、山本坊、福寿坊、南泉坊、円林坊、東林坊、万福坊、徳蔵坊、法光坊などがあった。』と記しています。
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見所はまだまだあります。何度訪れても飽きない神社。
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パワースポットですね。
2016年参詣時の記事:『岩木山神社 (弘前市)
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