当時桝形へと向かう道は煙草屋兵庫介と煙草屋高清水四郎兵衛の屋敷に挟まれている小路で、道へ入るとすぐに屈曲して桝形を形成しています。さらに土塁と堀があり、この長勝寺を中心とした区画の造りを長勝寺構(国史跡)と称しています。現在は西茂森一帯。
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築城時に茂森山を切り崩し、天満宮の南付近から、茂森新町の間に堀を造って水を溜め、掘った土で土堤を造ったのです。南側は早くに埋め立てられましたが、昭和初期までは小さな堰が名残りをとどめていたそう。一方、北側は大きい堀で、夏には魚釣り、冬にはスケートなんかもできたそうです。もちろん堀は現在埋められていますが、土堤は一部残されています。近年まで古堀町、古堀新割町という町名も残されていました。

ってことで、早速土塁を歩いてみましょう(笑)
って歩いてもいいのかな?…(ドキドキ)
禁止とは一切書いてないけど…(ドキドキ)
弘前城の土塁は立入禁止だしな…(ドキドキ)
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頭にあの曲が流れてきました…
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歩こう!歩こう!
私はYUKI~!
歩くの大好き~!
ドンドン行こう~!
(立入禁止だったらごめんなさい)
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天満宮へ行く歩道は土塁を潜るトンネルとなっています。
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天満宮を見下ろします。
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ぐわ。上がれば結構高い!
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こうやってみると見事に残っていると実感できますねぇ。
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足場も悪いのでなかなかの距離に感じます。
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真っ直ぐのびています。
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なんか…不思議な気分。街中なのに山中を歩いているような(笑)
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土塁下の空堀はほぼ失われています。
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桝形付近。
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こちら側は視界が開けています。
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あの木の辺りで土塁は完全に失われます。
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桝形から長勝寺構の中に入ると南には御さゑん畠と称する藩主御用の茶畑があり、現在の黒門を過ぎると六角堂(栄螺堂)が道路南に建っています。更に西へ進むと所謂禅林街と呼ばれる曹洞宗の禅寺が建ち並び、西端に藩主家津軽家の菩提寺の長勝寺があります。
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