
出間館(いづるまだて)。

平山城。築城不明。城主出間氏。

永正年間(1504~20年)から元亀年間(1570~73年)にかけ、出間氏が居城。

和徳城主小山内讃岐守に攻められ落城しました。

しかしいずれも詳細については不明な部分が多いです。


遺構は一切ありませんが、土地の記憶としては、自転車通学の弘高生が通る裏手のサイクリングロードの方が高低差を直接感じとることができ、何となく城跡を思い浮かべることができます。






日暮橋付近。





この橋は相当昔から日暮橋と呼ばれているんですね。

銅屋町。

仁王坂下より。

藩政時代初期には、本町付近に町割りされていましたが、元禄九年(1696)ころに現在地に町ができました。日常生活用具の鍋や釜などを作っていた職人が住んでいたことから名付けられたものです。


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