


御膳水(ごぜんすい)。






『貞享3年(1686)12月、津軽藩四代藩主信政公より、「紙漉座」新設の命を受けた頭取の熊谷吉兵衛が、良質の紙をつくるには、大量の良水が必要という見地に立って、「御膳水」を含む「富田の清水群」の一郭に「紙漉座」を設けた。現在の紙漉町郵便局のあたりといわれている。そこから「紙漉町」の町名も生れた(弘前市史藩政偏に據る)。明治14年(1881)9月、明治天皇が2度目の東北地方巡幸の折、弘前市本町の金木屋を御座所となされた。その際、お茶や食事の用水として、当初の水を使用されたのでそれ以来、「御膳水」と命名されたという。また、藩政時代より稲荷神社の「御手洗(みたらし)」としても使用され、広く地域住民の生活用水としても、多大の恩恵を与えて今日に至っているのである。昭和61年(1986)3月には、青森県選定の「私たちの名水」の一つに選ばれている。』

昭和60年4月1日改築。

定:『第三の枠にて器物類を洗滌したる後第一、第二の枠内より飲料水を汲み取るべし。以上。明治43年6月』

御膳水の碑(昭和10年9月9日富田自治會建立)。




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