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黒森山の中腹にある浄仙寺は、森に囲まれた静かな境内は泉水とあやめの名所で、森の中には郷土の生んだ文人の文学碑が数多くあり、文学の森と称されています。
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浄仙寺は文政7年(1824年)是空行者が開山。
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是空は中野不動尊境内の洞窟にて断食修行中「これより北の方清泉の湧き出たるところにて修行されよ」との霊告により黒森山中に至り、清泉(現在本堂脇にある)を見つけ、終世陰遁修行の地と定め、後に浄仙庵と号し、明治8年浄仙寺となります。
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その当時は、みだりに寺を創建することは許されませんでしたが、黒石藩側の特別な計らいにて、黒石の上ノ坂(現在の神明宮付近)の廃庵状態にあった浄仙庵の再興という名目で黒森山への開山が許されたのです。
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是空は開基以来、明治9年(1876年)5月に入滅するまでの50年あまり、一度も山を下りることはなかったそうです。
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二世寂導行者は文政8年(1825年)に13才にして是空の弟子となり、専ら浄教を修し、師を助けて当寺の開拓整備に尽力され、また学僧としても誉れ高く、92才にて入滅。幼少よりよく仏像を彫刻し、一刀彫数千躰に及び、ひろく信者に施されました。
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四世明空は、明治3年教師補を拝命し、寺小屋「黒森学校」運営に専念し津軽一円より学を志すもの多数ここに学びます。政治、経済、有名人多数を輩出しています。
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浄仙寺仁王像。
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明治40年明空本堂を新築。昭和19年12月に火災により本堂、庫裡全焼し、昭和41年本堂を再建し現在に至ります。
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大正初年黒森山。山頂近くには風穴や珍奇な植物が多い貴重な山です。
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大正中期の本堂。宿坊を寺子屋として使い教育の場でした。
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紅葉時期も素敵ですが、おすすめは7月上旬~中旬。浄仙寺の境内にある約200種2万株の花菖蒲はとても美しく、まさに極楽浄土気分にさせてくれます。
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また、境内には「お茶処 松楓亭」があります。
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お食事(そば・うどん)もできますし、住職が淹れる珈琲と揚げたてドーナッツは大変人気です。
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珈琲は成田専蔵さんの珈琲豆。
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ちなみに黒森山には次のような伝説が残っています。
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「黒森山は大昔はまだ高い山でした。あるとき西の岩木山と背くらべをしました。どちらも自分の方が高いと主張して、とうとう喧嘩になったのです。黒森山は自分の刀を岩木山に投げつけて、左型を切り落としました。岩木山はおおいに怒り、これも刀を投げつけたところ、黒森山の頭に当たって首が落ちてしまった。それから黒森山は坊主頭となり、丈も低くなってしまったという。」