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下川原焼土人形は江戸時代の後半に九州筑前で陶器作りを修得してきた初代・高谷金蔵が、下川原に窯を築き、日用品を焼くかたわら冬に人形玩具を焼いたのが始まりで、現在まで約190年以上にわたって受け継がれています。
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赤土と砂を調合した粘土を石膏の型枠にはめて形を整え、約800度の高温で数時間窯焼きし、最後に色をつけてできあがりです。
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鳩笛や干支人形が有名ですが、実際の人形の種類は数百もあり、素朴な形と穏やかな表情には淡い郷愁がかきたてられます。
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下川原焼土人形製陶所と下川原焼陶工房は桔梗野1丁目にあります。
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なお、高谷家には弘前市では珍しいクリの古木(樹齢推定200年以上)があり、高谷家の先祖が文化7年(1810)に、ここで焼き物を始めた記念に津軽藩主から贈られたものと伝えられています。
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以前の記事「歩兵第三一聯隊ノ跡」の通りからこの高谷家方面にかけて、やたらと開けた空き地があります。
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なぜここだけが綺麗に空き地になっているのかはわかりません。上から見るととても高低差(桔梗野~寒沢町)がわかりやすい眺めとなっていますよ。
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下から見たわかりやす高低差。家があんなに上に。
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