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瑠璃山薬師寺。黒石温泉郷山形地区温湯町内にある黄檗宗寺院。津軽三十三観音霊場第二十七番朱印所、津軽八十八ヵ所霊場第三十番札所。
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境内の石段を登ると大きな岩があり、それを割って根を四方に広げた楓の樹があります。
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風貌が盛岡市の「石割桜」に似ていることから「石割楓」と呼ばれ、昭和58年市天然記念物に指定。
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樹齢は何と500年。樹高11.8m。根元幹周6.1m。樹幹は空洞となっていますが樹勢は良好で11月上旬に黄色い葉が季節の移り変わりを知らせます。また、楓の下には「山中や菊はた(手)をらぬ湯の匂ひ」の芭蕉句碑があります。
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寛文元年(1661)、花山蔭忠長が温湯を訪れた際、薬師像を安置した記録があります。その後、不動寺の開山である潮音の弟子の宗運和尚(藤崎出身)が延宝7年(1679)に温湯を訪れ、翌8年、薬師堂の傍らにあった庵を譲り受け法眼寺を開基。なお、宗運は江戸で黄檗の禅の修行をしております。
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天和3年(1683)に黒石ニ代領主信敏公により「宝厳山法眼寺」と命名されました。元禄4年(1691)領主の祈願所として山形町に法眼寺が移されましたが薬師寺堂が残り監寺が置かれたのです。
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享保9年(1724)弘前五代藩主信寿公が温湯温泉に湯治に立ち寄った際、「山寺」という漢詩を読み、当寺の四季の風景を詠っています。
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黄檗宗の寺は全国に500以上ありますが、東北では僅かに15寺、県内では僅かに3寺で、内2つの薬師寺と法眼寺が黒石市にあるんですね。
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石敢當碑。鹿児島方面によく見られる石塔で、中国の道教の道祖神的役割を果たします。
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元は弘前市覚仙町にあったものを藩政時代に新寺町の慈雲院に移され、明治維新後に薬師寺に移ったものと推測。薬師寺は大正の初め頃に慈雲院(本家寺)を吸収して同院境内に建立されてあった石碑等も薬師寺に移し建てたそうです(大正4年)。もう一点の根拠として、尾崎村誌に郷土史研究家として著名な成田末五郎氏が「石敢当」について触れており、広船のほかに「当地では弘前に一つ見た外、見たことがない」と記していることです。この石敢當は文政6年に弘前藩の表医師、三上隆圭が建立したものと伝えます。
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