三世寺一帯は、鎌倉時代鼻和郡尻引郷(しりひきごう)で、藤崎安藤氏の領地でした。




そしてこの地には、天台宗三世寺が独立丘陵に館を構えていました。


同寺の大檀那は安藤氏で別当は熊野修験であり、したがって館は修験館です。





神明宮はこの館跡に位置し、境内に7基の板碑がまとまってますが、元は付近一帯に散在していたもの。



7基とも安山岩に種子を刻み、5基は鎌倉時代末期から南北朝中期までの紀年号を有しています。

この中には2対4基の連碑(れんぴ)があり、そのうち1対は講衆碑(こうしゅうひ)。また釈迦種子碑としては県内最古の年号を有する碑です。

これらの板碑は、文書史料の乏しい当地方の中世の歴史を知る上で、貴重な史料となっています。

しかし、ほんと大きいし、立派な板碑ですね。

板碑は読めない私ですが、説明板もちゃんとあってわかりやすいです。


これは!?(( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

何て愛嬌のあり過ぎるお顔。

三世寺付近は慶安元年正月に大雨で大洪水になった記録があります。知人に聞いたところによると、今でも大雨の日は大変なことになるらしいです。永禄日記や平山日記によれば万治2年藩の御蔵が建築され、岩木川の掘替えがありました。この辺りは年貢米を集積する役割を持っていました。
月見野橋です。



神明宮由緒。
御祭神は天照大神。創建不詳。
青森県神社庁によりますと、貞享4年、弘前藩にて田畑免除法を定めた際、現社地は三世寺、小山両村抱え境内地として調定し、寛政8年には社寺領に属する旨、検地元帳に登録されたといいます。明治6年4月村社。

明治初年に中崎村から遷座した月夜見神も祀られていました。







神明宮境内にあるこの門はかつての児童館の門らしいです。児童館は今は存在しません。

こちらは…

疱瘡神宮。

天然痘みたいな石(( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

新しい拝殿です。そういえば一度火事になっているような…。

拝殿から正面参道を見下ろす。城郭を感じさせます。

本殿は鞘堂内部にあります。

神明宮への鳥居を潜る入口が本殿から見て3方向にありましたよ。




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