津軽総鎮守、縣社弘前八幡宮。
鼻和郡八幡村(旧岩木町八幡)に鎮座していたのを津軽藩祖為信が堀越に移し、2代信枚が弘前城築城により、城の鬼門の押えに現在地へ遷しました。
弘前の総鎮守で津軽全郡111名の社司を統括しました。
長い参道で一の鳥居はかなり離れています。
参道入り口の狛犬。
台座には新若松樓・酔月樓・萬葉樓・長久樓・峯月館・延年閣等の文字が見えます。
昭和10年地図登場。この辺り一帯は遊郭でした。当代一といわれた武蔵楼(明治20年北川端町に開業)の大きさが古地図からもわかります。
遊郭は第八師団設置に伴い北横町及び同町字野田、田茂木町字山王へ移転。酔月樓は大正9年に移転した割烹なかさんですね。
新寺構の土塁に移転した割烹新若松。
本殿・唐門とも慶長17年(1612)建立と推定。
国指定重要文化財です。当地方桃山時代の建築手法の好遺構。
唐門は四脚門で入母屋造の屋根の前後に唐破風を付しています。
軒の唐破風や四隅の反りなど屋根部分の形態にありますが、反りの曲線が非常に美しく、本殿と合わせた外観を一層厳かなものにしています。
鳩彫刻は本殿箱棟銅板の正面と裏面の中央に置かれていたもの。
ひばの柾目厚板を使用して羽根や羽毛の線を丁寧に刻み、漆塗のうえに金箔が施されています。彫刻の裏には元禄の文字。
本殿入口下に寛文四年(1664)奉納の狛犬一対。写真に頭が少しだけ写ってますね(笑)中に入って真正面からの写真撮影は禁止と言われたもので。
4代藩主信政の治世天保2年(1682)8月15日御輿渡御、以後隔年毎に行なわれた八幡宮祭礼御輿。
明治22年に焼失し、現在の神輿は明治44年に佐藤楽山氏により忠実に復元したもの。
当時は城下最大の祭りでした。
八幡宮には市指定有形文化財等が多数あり、「弘前城築城400年祭 平成23年度建造物・宝物特別拝観事業 弘前市は歴史と文化のびっくり箱」ですべて見学したのですが、いずれも撮影不可とのことで…これで我慢してください(笑)
大太刀二口、大薙刀一口(市指定有形文化財)
大太刀二口、大薙刀一口(市指定有形文化財)
木造不朱塗獅子頭(市指定有形文化財)
木造素木龍頭(市指定有形文化財)
いずれも二代信枚の寄進。
末社に稲荷神社と天満宮。
高山開運稲荷神社の御祭神は宇迦能御魂神。創立年月日不詳。元開運稲荷神社。
明和3年丙戌年、神託により弘前城内守護開運の神として歴代藩主公殊に崇敬厚かりしもの、後明治の時世同3年市内塩分町34番地に神殿を改築、御遷座。明治20年7月上白銀町3番地に社殿を改築(藤田記念庭園の場所)、高山稲荷大神御分霊を合祀し高山開運稲荷神社と改称。大正9年市街地整備により下白銀町1番地に新社地を移し御遷座し(りんご公園から上白銀町に招魂神社が移ってきたため)、その後、弘前公園内整備計画の為、 現在地に遷座。
本殿脇には廃稲荷様がずらりと。
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