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百沢街道は、岩木山(いわきやま)神社へ参詣する信仰の道。山道なので勾配のある街道です。
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遊歩道も整備され、お山参詣に利用されています。
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この県道は、各集落の中を通る生活道路だったため、集落内を回避して走れるようバイパスがつくられました。
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松並木の植栽は藩政時代には方々で行われていましたが、百沢及び高岡街道の植栽は、樹齢から推定すれば約300年以上前と考えられます。記録では、「要記秘鑑」の文化6年(1809)の条に植栽と松並木育成策についての記述も見られ、藩による手厚い保護がうかがわれます。
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藩政時代から百沢寺(現岩木山神社)の参道となっています。
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藩政時代に植栽された大変貴重な松並木で、種類はアカマツとアイグロマツ。
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百沢街道の松並木は樹高8~18メートル。高岡街道の松並木は樹高8~26メートル。樹齢は150年から300年と推定されています。現存する松は百沢街道に63本、高岡街道に20本。
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観光りんご園、お山参詣歌碑などがあります。
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途中で急な坂がございます。
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急な坂を下り終えると弘前市百沢で、県道30号とアップルロードと交差します。
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菅江真澄が大浦城より、御台(五代)、老母橋(馬子橋)、山崎の諏訪神社、兼平…そして百沢寺を目指す過程に次のような記述があります。
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「南に羽黒の神をまつり、山の北に八幡山が眺められ、新法師という村がある。山のふもとにも、もと、しんぼっしという部落があり、また宮地というところがあるのは、遠いむかしに何とかいう宮がそこにさすらい来られて、世をいとい、出家されて、新発智となられたゆかりの地名であるそうだが、いまは文字を書きたがえている。ごだいというところは、その御台があったともいう。百沢寺を造営するというときに、坊をかりにつくり、そののちに、いまの寺のあたりにうつしたとかで、それで新坊地の名がのこったとも伝えている。左に松ばかりがふかく茂っているなかに、高岡の宮があるという。こうして坂をくだってくると百沢の村である。救聞持法を行なう寺があり、虚空蔵菩薩をすえて、救聞寺という。」
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