千年公民館・児童館前に立っている大きな一本松。
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築城当初、堀越街道は秋田大曲街道と共に津軽の主要街道とされていましたが、貞享元年(1684)に小栗山の松山を千年山と名付け、御仮屋長楽亭等を建設し、八橋の景を造り、また翌年の貞享2年(1685)4代藩主信政公の時に、堀越街道の往来を止め、地内の千年山を切り開き、城下より小栗山を通って石川村へと至る羽州街道を造りました。元禄6年(1693)街道筋に松が植えられます。後にこれを千代の松原と称し親しまれていましたが、現在この並木松の大半は失われています。
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アイグロマツは数百本あったと伝えられますが現在はこの1本…貴重ですね。推定樹齢は300年以上。きっと美しい街道だったんでしょう。
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ちなみにここの公民館の背後一帯が千年山で、三岳堂池近くの百年山に対して名付けられたといい、藩政時代は藩主の別荘長楽亭があったところです。参勤交代時の休息地だったといいます。参勤交代の際には、ここまでは正式の列をなし、ここから先は旅行用に簡易化したとか。
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