黒石の新坂です。袋井ー内町と上がって横町へと続く坂道。

元禄7(1694)年の御国中道程之図と照らしてみますと、陣屋の敷地東側、大手門(現在の市ノ町と内町の交差点)付近へと上がる坂で当時は侍町でした。とは言っても坂自体ができたのは後々の話です。

藩政時代は上ノ坂と下ノ坂しかありませんでした。明治に陣屋が撤去されると道ができましたが細くて嶮しい坂でした。

明治9年に追子野木住民により浅瀬石川に千歳橋が架けられ、明治20年には上ノ坂より勾配の緩やかなこの嶮しい坂の大改修が行われたことにより、人々の流れは変わり、商店街の中心は中町から横町へと移っていったのです。

黒石の中心商店街の変遷に多大な影響を及ぼしたのがこの新坂だったわけですね。※黄色(下ノ坂)、緑(新坂)、赤(上ノ坂)、青(小阿弥堰)。

坂道は千年橋から真っ直ぐ上がり、右に緩やかな湾曲、坂上の黒石神社前にて急激に左に湾曲します。


この急な湾曲は新坂が新しい坂ということ、そして黒石神社の存在並びにかつての大手門跡へと続く道(町の区画)に合わせた結果でしょう。

小阿弥堰に架かる富士見橋。

昭和4年6月1日にできた歴史ある古橋。


宇和堰です。

高低差を見てとれます。


ちなみに最も交通量の多い新千年橋(昭和62年(1987))から続く黒石大橋(昭和61年(1986)開通)から高低差を見ればこんな感じ。


坂中腹にある脇道を右に下れば上ノ坂へと続きます。

坂中腹にある道を左に上れば下ノ坂へと続きます。
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