
私の好きな菅江真澄の『津軽の奥』に、新法師へ向かう途中、つくり坂や羽黒の神が出てきます。


旧岩木町の宮地造坂(みやじつくりざか)。大正から昭和初期に造成されたもので、古い旧造坂は羽黒様方面の道になります。よって現在の坂は新造坂と呼んでもいいと思います。

岩木山が美しいです。

この坂は大きく湾曲している割に、結構距離も勾配もあります。

昔は冬になると車が上れなくて大変だったとか。現在はロードヒーティングですが、新しい道もできたので通る人は少なくなりましたね。

岩木山と逆方面の景色も素晴らしいです。

大きく湾曲します。



造坂の坂下にあるスペース。

この場所からの造坂と岩木山のコラボ風景は最高。

旧暦8月1日の「岩木山お山参詣」の際には、多くのカメラマンが三脚を据え、岩木山を背景にお山参詣一行が造坂を上っていく姿を撮ろうと集まってきます。

造坂を上り切ると百沢街道へと続き、100本ほどの赤松の並木が壮観です。


坂上田村麿呂の創立と言われる羽黒神社。造坂の近くにあります。御祭神は倉稲魂命・大己貴命・水波能女命・大山祇神。県内の羽黒神社の総本山であり、歴代藩主によって修繕が行われてきました。


人皇51代平城天皇の御代大同2年(807)坂上田村麻呂蝦夷征伐の祈り、眼病平癒を報賽して創建。坂上田村麿呂は眼病を患った際、ここ清水で治したという由緒があるんですね。



以後この霊泉は禊水(体の邪気を清める水)、洗眼、飲料として利用され、昔からこの霊泉で眼病が治った者は、数知れずと言われています。また、文明年間(1469-1487)、岩木川の反乱を防除する杭止堰普請の際に人柱となったといわれる川崎権太夫(杭止神社の水神として祀られ、子孫は代々同社の神主でした)の子孫が、文政年間から社家として境内に住むようになったといいます。


この神社は県内各地の羽黒様の総本山の位置にあり、古い文書に度々本殿改築の記録が見られますが、その中には天明4年の大飢饉の中での改築の記録があり、郡内外の崇敬を深く集めていたことを物語っています。







ちなみにこの神社も造坂同様に入口の鳥居から、かなりの勾配を上がっていく神社です(車でも行けますが)。



拝殿前にいる個性的な狛犬

鳥居にいるもっと個性的な狛犬

かわゆす。
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