下ノ坂と共に上ノ坂(かみのさか)もまた黒石を代表する名坂と言えます。

現在の袋井から前町・中町へと上がる坂道…つまりこみせ通りへと繋がる坂です。情緒溢れる非常に素敵な坂です。



緩やかな湾曲。


坂の中腹には宇和堰が流れます。

元禄7(1694)年の御国中道程之図によれば、陣屋の敷地東側を上がる坂が上ノ坂であり、坂上には東門がありました。現在の市役所付近になります。

寛延巡礼記に『堂一間四面…神明の宮あり…この所、上ノ坂という。これより下に下ノ坂とて、稲荷、八幡の宮あり』とあります通り、坂上には黒石神明宮があります。

黒石神明宮は文禄年間(1592~95)には既に小祠が鎮座し、正保年間(1644~51)には津軽三十三観音霊場第二十六番札所、黒石観音が祀られていたと伝えられています。

黒石藩が成立後は藩主の祈願所として庇護され天和2年(1682)には藩主津軽信秀の命で本殿、神楽殿を建立寄進、宝永3年(1706)には津軽信敏が精舎神明宮を造立しています。明治2年の黒石前町の大火で多くの社殿、社宝、記録など焼失し、明治12年に再建。神仏分離令が発令されると仏式が廃され黒石観音は札所巡りが再興すると法眼寺に移されました。

『御祭神:天照大御神。相殿神:松尾大神・住吉大神・牛頭天王・天神。起源不明なるも文禄年間(1592-1595)、第百七代後陽成天皇時代現地にすでに小祠があったと伝えられているが、それは或いは正保年間(1644-1651)、津軽三十三観音の26番目の札所となった黒石観音堂ではなかったかと思われる。寛延4年(1751)、「津軽三十三所順礼」によれば26番黒石とあり、「堂一間四面西むき、前に一間に二間の拝殿あり、住吉大明神の堂あり、牛頭天王の堂あり、二間に三間の神楽殿あり、神明宮あり、天神の堂あり、松尾大明神の堂あり、この所を上の坂という」。天和2年(1682)9月16日、黒石藩主津軽信秀公願主となり武運長久子孫繁栄領内安穏の為、家老発田茂太夫城代澤井直右衛門を遣はし奉行、町年寄、棟梁等を督励して本殿、神楽殿を建設し藩主の御祈願所とし永代御神楽を勤めさせた。明治2年5月14日黒石町大火により焼失。同12年新築す。』


境内には広い公園があります。

神明宮裏手から堰を眺める。

写真は大正2年、前町上ノ坂上の冬の神明宮。今と違って見晴らしがいいですね。

また、黒石には有名な黒森山浄仙寺がありますが、浄仙寺は是空が廃庵状態にあった上ノ坂の浄仙庵の復興という形で明治8年に開山したと言います。現在の黒石神明宮付近、上ノ坂に浄仙寺の由来があったのですね。
【上ノ坂 ~ 其之弐】へ続く…
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