
下ノ坂は津軽の中でも情緒・由緒を色濃く残し趣溢れる名坂と言えます。
ちょっと見難い地図ですが…。
ちょっと見難い地図ですが…。

赤い線が下ノ坂。二本の青い線は上が宇和堰、下が小阿弥堰。緑が久須志大神。ピンクが黒石稲荷本殿。水色が西門跡の桝形の名残。黄色が現在も残る桝形の道で趣ある第二消防部屯所を残します。

では小阿弥堰から下ノ坂を上りましょう。




宇和堰沿いの左には久須志大神。右には黒石稲荷への入口が2つあり、1つは古い石段となっています。


2つの入口より下ノ坂を見下ろす。石段下にはちょうど久須志大神が見えます。


黒石稲荷神社は創建こそ不詳ですが古くより「黒石稲荷様」と称されて、黒石村中の産土神として信仰、文安3年(1446)に秋覚と名乗る人物が別当となり祭祀が行われるようになったと伝えられています。なお、境内を抜けるとちょうど黒石陣屋の馬場(現在は黒石城跡石柱を残しています)へと出ます。


当初は稲荷宮と称して蝦夷館付近に鎮座し、黒石藩成立に深く関わり、黒石津軽家歴代藩主の祈願所となりました。元禄4年(1691)黒石陣屋に隣接した現在地に遷座、社殿再建や大鳥居建立等は藩費で行われるなど大変庇護され、享保11年(1726)には「黒石鎮守正一位稲荷大明神」の神位を勅許。明治時代に八幡宮を合祀し郷社に列しています。


大正2年の稲荷神社と現在の稲荷神社。


「寛延巡礼記」にも『堂一間四面…神明の宮あり…この所上ノ坂という。これより下に下ノ坂とて、稲荷、八幡の宮あり』と記されています。


鳥居には『稲荷神社 八幡宮』とあり、稲荷さまと八幡さまを祀っているようですが、八幡宮本殿は社趾の碑となっています。

さて、黒石稲荷から下ノ坂へ戻り、更に坂を上りましょう。

この外灯って古いですよねぇ。


何やら少しずつ坂上に姿を現すものがあります。


五重塔!?


第二消防部屯所でした。

下ノ坂からは少しずつその火の見櫓が頭を見せ、上る人々を楽しませます。

坂上を真っ直ぐ進めば西門跡地(現在は桝形の痕跡を残します)です。


更に進めば桝形の交差点に出て、左には趣きある建物が数軒、正面には第二消防部屯所が今も残っています。


大正9年の建築、木造二階建で、二階上部に火の見櫓(望楼)があり、黒石市内に現存する火の見櫓の屯所では最古の建物です。

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