
瑞楽園から北東約600mの位置、弘前市の中別所にある板碑群です。国指定重要美術品。

当初数基があり聖域視されていたところに、近在の開発で確認された板碑が運び込まれたと伝えられています。

津軽地方の鎌倉文化を表徴する雄健な佛種字が彫られているこの板碑は源光氏が高椙故西円禅門を弔う為に35日忌に供養碑として建立したもので鎌倉時代の正応元年(1288)の年紀があります。

源光氏は長勝寺の梵鐘(重文)にある施銭檀那中にも見られます。岩木山麓の板状節理の輝石安山岩で造られています。



当所の一群は「石仏」と称されており、大小47基あり、また隣地の一群は「公卿塚」と称され15基あります。

いずれも鎌倉時代に建立された供養碑であり地方史上極めて重要なものです。

菅江真澄はここを訪れた際に、『館のあとや、ふるい石碑があると聞いて、見たいと思い、行ってみると、石仏という田のあぜ、畑の中、木の下、草の中などに石塔婆がたくさんたち、あるいは倒れて苔に埋もれ、こわれたりすれたりして文字も不明瞭になっていた。(中略)弘安(1278~1288)、正和(1312~1317)、延慶(1308~1311)、永仁(1293~1299)、元応(1319~1321)などの年号はよみとることができた。新岡村を左に…』と記しています。

47基の並ぶ姿は、合浦山水観に描かれた幕末期の姿をとどめ、独特な雰囲気を感じさせますよ。



ちなみにこの一帯は中別所館の城内と考えられ、板碑から西は台地、南の沢に空堀と土塁を残しています。空堀等はこの板碑群のすぐ目の前にあってわかりやすいです。

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