西目屋地区です。
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この写真の坂が見返り坂というわけではありません。その昔、この高台の位置に上る緩い坂道があったのでしょう。
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現在は道路がかなり整備されており、高台からの景色を見る為にこのような形となっています。江戸にある多くの富士見坂のように、坂道は残っていても景色が失われているというパターンはありますが、こちらは坂道の原形は失われて、景色が残っているという逆パターンですね。
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白神山地方面への岩木川沿いの緩やかなのぼり坂で振り返ると「津軽富士」岩木山を中心にして見事な景色が広がることからこの名があるそう。私は東京の本郷の見返り坂を歩いたことがありますが、由来はまったく異なりますね。
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別名は「おんな坂」。そういえば昔この辺りに「おんな坂温泉」というのがあった気がします。
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また、秩父宮殿下(昭和十二年陸軍演習時に陸軍第八師団歩兵第31連隊に勤務)が御休息した場所として記念碑が建てられています。
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見返り坂は昭和3年の津軽十景、昭和11年の青森八景として選定された「瑪耶渓(めやけい)」の絶好の鑑賞地となっています。
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津軽十景1位となった記念石碑は田代と名坪平の間にある目屋橋にあり、昭和9年10月24日の紀年銘と弘前新聞社長の名を残します。この津軽十景は弘前新聞が1万号発刊の記念事業の1つとして選定の計画を立てましたが、目屋の人々はいち早くこの計画を知り、瑪耶渓の名で立候補。投票は昭和3年8月から9月にかけて行われました。弘前新聞は投票用紙を紙面に毎日2枚印刷(官製はがきの投票も可)し、毎日投票数が紙面で発表され、とても盛り上がったそうです。「弘前城」・「岩木山」・「法峠」・「座頭石」・「大戸瀬」などと競い合い、最後は圧勝。弘前新聞社の販売作戦ともとれる企画ではありましたが、この結果により昭和7年10月には弘前・田代に1日2往復の乗合自動車が開通するなどし、目屋地区においては大きな効果をもたらしました。
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川沿いには二見岩や八郎岩といった奇石や鷹ノ巣の美観が連なっているのが見えます。
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二見岩は二見ヶ浦にちなんでその名がつけられ、昔、村で林業を生業にしながら山神様を崇拝する人々が多かったため、昭和の初めに青年層によってこの岩の上に神社を建立しました。
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水害によって神社は一度流失しましたが、現在村内に篤く崇拝する者があり、神社として再建され今日に至っています。
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また、渓谷の八郎岩といえば、山村の八郎という若者が谷川の水を飲み尽くして十和田湖の主となり、または秋田の八郎潟を領したという八ノ太郎、八郎太郎、八太郎の伝説の主人公と言われています。
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牛馬犬猫大小動物鳥魚貝類の供養塔が。こちらは比較的新しいものに見受けられました。
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八郎岩から見返り坂を見るとこれだけ高低差があります。
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【追記】平成29年11月。神社がとても立派になっていました(以下写真)。
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