現在の新坂です。所謂三代目新坂と言えましょう。
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慶長八年(1603)に弘前(当時の高岡)の町づくりが開始され、同十六年(1611)弘前城が完成する津軽藩政時代初頭、上町と下町は、亀甲紺屋町街道と新町坂とで結ばれていました。
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また、当時の御馬屋へは城内からの通行により出来ず、現在の市民会館裏から御馬屋へ抜ける西坂と呼ばれた坂を利用していました。その後、馬屋町となり、四代藩主信政の時に現在の新坂から土塁よりに古坂(現存しない)が造られ、延宝五年(1677)以降の各絵図にはこの坂が記されています。
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更にいつ造られたか定かではないものの、当時の新坂(現在は古坂(二代目)と呼ばれている)が古坂に替わり造られます。
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現在の新坂は、明治三十九年から工事が実施され、幾多の問題を抱えながら大正初期に完成。
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以来、この新坂が下町への本通りとして利用されるようになりました。
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新坂より西坂方面。
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新坂の中腹から西坂の坂下方面へ石段があります。
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案内版が残る坂上。
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新町坂(現存)、西坂(現存せず)、古坂(二代目新坂)の歴史を受け継ぎ、現在はこの新坂と城西大橋が下町方面へと続く主要道です。
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紛らわしいので新坂に係るこれまでの記事をまとめてみました。
【過去の記事】
西坂
古坂
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