弘大裏手と西弘を繋ぐ文京町のクランク。

西弘方面から突入してみます。

短区間に直角に近いカーブが連続しております。

枡形や鉤型は城下町に付き物ですが…

しつこい(笑)

ほんとしつこい・・・バカヤロー(笑)

しつこい奴は嫌われるぞ!

マトリョーシカ人形でも開けているような気持ちになります。

あの「そば処もみじ亭」の緩いカーブをまがったところで…

ようやく弘大が見えてきます。

「ドンだけ~!?」って叫びたくもなりそうなクランクに…「ドン」の跡があります。

ドンとは午砲のことで、当時から「ドン」と呼ばれて人々に親しまれていました。午砲台は報時のための午砲(空砲)を撃っていた場所です。記録上では江戸末期から午砲はあったそうですが、制度は1871年の「午砲の制」が定められた後に全国各地に設置されていきました。その後、1929年頃からサイレンに代わっていきました。

弘前の場合、寛文5年(1665年、藩主信政)、森町北側に時鐘堂が建てられ、弘前城下に時を告げていました。いつまで鐘が撞かれていたかは不明。
なお、時鐘は戦争の供出により無くなりましたが、1956年に最勝院境内に復元。ちなみに基礎の石は本丸に建っていた津軽為信銅像の台座が使用されています。

その後、明治に入り第八師団が設置され、師団用の時報として文京町に午砲を設置。午砲の運営は主に陸軍。発砲は近衛砲兵に行わせ下士1名、上等兵2名来所の定めで、主に師団所在地で執行されたのです。

現在、もしもこの付近で正午に「ドーンッ!!」って聞こえたとしても、恐らくクランクにおける交通事故と考えて頂いてほぼ間違いはないでしょう(笑)
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