寒沢町…昭和31年(1956年)に富田から分離。
個人的には某割烹屋や某寿司屋に行く際にしか訪れない場所です。
久しぶりに昼間歩いた寒沢の街並みは少し変わっていました。
北から西南にかけては桔梗野、南は西ヶ丘町、東には富士見町が隣接します。
寒沢という町名が相応しくまさに谷の様相。
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寒沢町から桔梗野方面に行くにはこのような坂道を登らなくてはなりません。湾曲の分、分かりにくいかも知れませんが結構高低差があります。小さい頃はこの辺の高低差を利用してよく遊んだものです。
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さて、問題は逆方向…富士見町に行く道です。住所的には西ヶ丘町でしょうか。
ご存知、この寒沢町はアパート、下宿群となっており、弘前大学の生徒が数多く住んでいるわけです。弘前大学方面へ行くには富士見町側へ登らなくてはなりません。
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同じく昭和31年に富田から分離した富士見町は、秀峰津軽富士(岩木山)がよく望めることから名付けられた町です。つまり寒沢と富士見町の高低差がかなりあるが故に、岩木山がよく望めるわけですね。ここが江戸ならば富士見坂とでも名付けられていたでしょう。
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ここで道路交通法第33条を振り返りましょう。
これによれば特に信号機のない踏切の手前では必ず一時停止をしなくてはなりません。遮断機がある踏切において一時停止をしなくてはならないその主たる理由としましては、「踏切の先が渋滞・道路工事等によってスムーズに進めず、踏切内で車が停止してしまう事態を避けるため」ということになるでしょう。
さて、坂道に戻ります。
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近付いてきました。
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こちらが問題の坂道です。踏切の先は弘前大学となっております。
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何が問題って…勾配があり過ぎて弘前大学生が辛い思いをする!…からではありません。
坂を登りきったところがちょうど踏切なのです。高低差があり過ぎるため、しっかりと一時停止したところで、踏み切りの向こうは坂下からきちんと確認できないのです。
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更には免許とりたての若き学生がマニュアル車で一時停止するには過酷すぎるわけです。冬道ともなればまさに地獄の一時停止。そんな地獄の踏切であるが故に、この踏切にはとても有名な現代怪談も存在するのです。その怪談については実話かも知れないのでここでは触れないでおきますが。
坂上から見ればその勾配がわかりますね。
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まさに寒沢スキー場!大鰐スキー場には超急斜面で有名な「神沢バーン」が存在しますが、こちらは「寒沢バーン」。共通点は急斜面の超上級者コースということ。どうせならリフトも設置すれば宜しい。
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弘大側から坂道に向かうとこんな感じです。
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やはり一時停止しても見通しが悪くて確認が難しいですね。さらにY字路にもなっていますから非常に危険です。
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看板の「SO」ですら深い意味を持っているように思えてきます。

※昔SNSにて坂道の紹介をしており、この坂道を紹介する際に冗談で「寒沢スキー場~寒沢バーン」と紹介したのですが、一部弘大生にこの「寒沢スキー場」という言葉が定着しつつあるようです。ネットの影響って怖いですね笑