くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

東北地方の神社仏閣を中心に、歴史的建造物等々を適当に紹介しております٩(ˊᗜˋ*)و

明治から大正時代にかけての弘前の酒造界を代表する人物が福島藤助です。 藤助は明治 40年(1907)に酒造りに適した清水が湧く清水町吉田野(現在の吉野町)に福島酒造を、さらに、大正 6年(1917)には近接する富田字名屋場(現在の富田三丁目)に富名醸造を設立。 大 ...

江戸初期に各地に東照宮が造られましたが、弘前の東照宮は早くに勧請した東照宮で、1617(元和3)年、2代藩主信枚が弘前城本丸に勧請し、後に現在地へ移されました。当時6ヶ所にしか認められなかった東照宮を津軽に勧請されたのは凄いことです。御祭神は徳川家康公、天照 ...

護國山久渡寺の227段の坂道。 後半はお世辞にも綺麗に組まれた石段とは言えず、想像以上に体力を消耗します。 結構石段に蛇がいます。踏まないように気をつけましょう。 護国山観音院久渡寺 津軽三十三観音霊場第一番札所です。創建は延暦年間(782~806)阿闍羅山 ...

場所は弘前市役所の駐車場内なのでその存在を知っている人は多いはず。 大正6年(1917)建築、昭和34年移築、木造平屋建。設計は堀江彦三郎(堀江佐吉の長男)。平成15年に国登録有形文化財指定。 第八師団長官舎として使用されていましたが、市役所の新築工事の際に3分の2 ...

津軽伝承工芸館の南西側に位置する白山姫神社は、別名「袋観音堂」ともいわれ、午年の一代様として古くから信仰を集めてきました。参道には石彫りの三十三観音像が並び境内へと誘ないます。 鳥居の側には大きなイチョウの木があります。大永年間(1521~1582)は台風の ...

大館の秋田犬会館と桂城公園の間の坂道です。 この坂道には桂城橋が架かっており、旧大館城本丸と三の丸を結ぶ橋とも言えます。 桂城橋からは樹海ドームが見えます。 春になれば桂城公園の桜が咲き誇る美しい坂道です。写真はありませんが。 坂の途中でハチ公が見守りま ...

大正11年(1922)創業の吉井酒造株式会社。 「吉野桜」を醸す吉井酒造の蔵は今も弘前駅の隣にあります。 いかにも酒蔵らしい赤煉瓦の煙突が象徴的です。 駅前に吉井酒造(株)が造られたのは昭和14年なので、昭和10年地図には存在していません。 今と昔 ...

本州最北端の村「三厩村」にある義経生存伝説の寺。 源頼朝に追われて奥州平泉の衣川にて自刃したとされる源義経が、実はこの三厩から津軽海峡を渡って蝦夷地(北海道)に渡ったという伝説が残されています。 厩石(まやいし)と言われる岩礁です。 蝦夷地に逃げようとし ...

和徳城。平城。 弘和年間(1381~84)、安東氏の一族である安倍氏が築いた言われています。 南部氏が攻めてきた文安2年(1445)、清原氏の流れを汲むとも言われる配下、小山内氏の内通によって城は落城。以後、小山内氏は南部氏に従い和徳城の城主となります。 天文12(1 ...

住吉神社を探索すれば、遠くからゆっくりと近付いてくるお方がいます。 住吉神社を守りし、住吉伍長です。 住吉神社に行けば必ず現れて、私のような侵入者がいれば警備にあたります。 私が探索開始すればすぐ後ろを… のしのし…私が止まれば… 再び探索開始… のしの ...

辻坂より吉野町へ下りて正面に見える鎮守の森。 住吉町は江戸時代の弘前城下の一町。1708年(宝永5年)4代藩主信政の代に富田村領に住吉大明神社地(普光院)が置かれ、それに由来し住吉町になりました。主に下級武士が居住。 かつて住吉神社で御祭神が表筒男命・中筒男命 ...

其之壱はこちら。 其之弐のコース。 まずは久渡寺山山頂から岩落山山頂へ続く吊尾根を歩きます。 「太陽の道」と言います。 今回は行きませんがライオン岩という場所もあります。 吊尾根を象徴する案内標識。 太陽の道はブナやヒバの木漏れ日が気持ちがいいですね… ...

こどもの森は弘前市制80周年記念事業として1969(昭和44)年にオープン。 久渡寺の高坂智晋住職と藤森睿弘前市長が「これからは子供たちが自然に親しむ機会が少なくなるので子供たちにそういう場を提供しよう」と話し合い、高坂さんが山を無償で開放しました。 標高663mの久 ...

ちょっぴり昔の地図を見ていましたら弘前城西濠付近に「弘前水族館」の文字が。 場所は「お食事処野の庵」の隣…そういえばちょっと変わった建物があったなぁ…あれ?水族館でしたっけ? で、行ってみたらありました…弘前水族館「マリンパークひろさき」! 私は中に入っ ...

太宰治まなびの家です。 大正10年(1921)11月建築。木造2階建。 大正10年(1921)に旧碇ヶ関村村長宅を移築したと伝えられています。 昔の写真。 今の玄関と昔の玄関。 当初の建築場所は現在地から100mほど北西にありましたが、建物の向きも変えることなく現在の ...

津軽平野南東隅の微高地に築かれた平城で、西から東側に主郭、二の郭、三の郭を連郭式に連ねたシンプルな構造。規模は東西90m×南北150mで周囲には堀があったと推測されていますが詳細は不明。 永禄年間(1558~1570年)中期、大光寺城主滝本播磨重行が敵対する乳井福王寺の ...

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