くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

黒石の新坂です。袋井ー内町と上がって横町へと続く坂道。 元禄7(1694)年の御国中道程之図と照らしてみますと、陣屋の敷地東側、大手門(現在の市ノ町と内町の交差点)付近へと上がる坂で当時は侍町でした。とは言っても坂自体ができたのは後々の話です。 藩政時代は上 ...

有名な愛宕山橋雲寺より細越竹原方面に坂を下って行ったら村社愛宕神社がありました。正保2年の津軽郡之絵図には細越村が愛宕堂(植田)の麓に描かれており、植田村をも包括した地域であったと思われます。 御祭神は軻遇突智神。創立年月日不詳。古来、 不動尊観音堂の二祠 ...

文化幼稚園の隣にあります。 弘前には昭和2年建築の鉄筋コンクリート建造物「三上ビル(旧弘前無尽社屋)」が貴重な建造物として残っているが、こちらもまた馴染みのある建物かも知れません。 というのも、意識してみれば、高く突き出たその塔は意外に色々な場所から視 ...

弘前市薬師堂日照田に在ります熊澤神社。旧館跡地の一部。御祭神は少彦名命、軻遇槌命、武甕槌命。また、当熊澤神社は水を恵む神であると伝えます。 延暦年間坂上田村麿東征の折、当國に下向、戦不利のため悪鬼降伏のため、祈願勧請。 不思議な感応あり妖鬼退散降伏すと ...

陸羯南(くがかつなん)巌城の詩碑。 狼森の大狼神社に向かいます。 昭和29年に大和沢地区にある稲荷神社の分神として建立。合格祈願に御利益があるらしいですよ。 ここの神社…最初の社号標がかなり離れた場所に。下の写真の右奥の山の山頂に向かいます。当時はこの位置 ...

陸羯南(くがかつなん)生誕の地。 ここは立派な黒松をはじめ、趣のある通りですよね。 安政4年(1857)10月4日、弘前、在府町22番地に中田謙齊・なほの長子として生まれました。本名は實(みのる)。号羯南。明治12年、陸(くが)姓を名乗ります。政論家。工藤他山思斉 ...

※第八師団の煉瓦倉庫とは違うようです。「津軽米穀卸事業協同組合」の米倉庫でした。でもいずれ私と同じ疑問を持つかも知れぬ人のために、一応記事はそのまま残しておきます。   情報を得ることができなかった品川町の煉瓦倉庫。 何か知っている方がおりましたら、この倉 ...

明治30年8月23日 弘前衛戌病院として創設  昭和11年11月10日 弘前陸軍病院と改称  昭和20年12月1日 国立弘前病院として発足 平成16年4月1日 独立行政法人国立病院機構弘前病院に改称 歩兵第三十一連隊の置かれた一角に陸軍施設として明治30~31年に堀江佐吉によって ...

弘前市立第三中学校前の野砲兵第八聯隊之碑 第三中学校に門が残っています。 元々の第三中学の校舎は富田安原の旧野砲隊兵舎でした。 三中の向かい一帯もほぼ陸軍用地で、歩兵第三十一聯隊や陸軍倉庫がありました。現在は小学校、高校、交番、商業地、病院、公園とな ...

私の好きな菅江真澄の『津軽の奥』に、新法師へ向かう途中、つくり坂や羽黒の神が出てきます。 旧岩木町の宮地造坂(みやじつくりざか)。大正から昭和初期に造成されたもので、古い旧造坂は羽黒様方面の道になります。よって現在の坂は新造坂と呼んでもいいと思います ...

茂森町桝形の中心にあります正進会館。 ちょうど桝形の標柱が建っているところです。 隣には消防西第一分団屯所。 明治時代、歩兵第三十一連隊の将校集会所として建築された建物。 後に茂森町青年会館として当地に移築され、最近までは空手道場として活用されていまし ...

日露戦争中の明治41年に編成された歩兵第五十二聯隊。 弘前実業高校グラウンドとその付近になります。 1993年までは、この一体は空き地となっており、レンガ倉庫敷地内は弘大の音楽サークル練習所(通称城南倉庫)があったくらいで殺伐とした感じでした。 現在は個人倉 ...

明治28年、黒石公園下に開業したこの割烹富士見館が黒石最初の料亭です。 大正元年でも1軒だけでしたが、大正期の好況で増加。芸妓を抱え、遊客を招いて大繁盛したそうです。 昭和7年、黒石には料亭が13軒(富士見館、清藤家(きよふじや。公園下)、奴庵(油横町 ...

黒石の「キワ」にある東公園。 見晴らしもいいし、自然に溢れ、遊歩道はあるし、子供も遊べるし、何より黒石の「キワ」の高低差を感じることができる堰に挟まれし素敵な公園。 桜の季節には花見、宴会、BBQ等の人々で賑わいます。 ところがそれ以外の日はほとんど人いま ...

百沢街道の途中に高照神社の社号標がひっそりとあり、その社号標がある新法師から長い坂道参道を下っていきます。 菅江真澄が大浦城より、御台(五代)、老母橋(馬子橋)、山崎の諏訪神社、兼平…そして百沢寺を目指す過程に次のような記述があります。 「南に羽黒の神をま ...

今回は黒石陣屋の絵図に従い、実際に黒石の町を歩いて回り、門趾に残っている石柱を頼りにしながら陣屋の大きさを体感してみたいと思います。 陣屋内には御殿、台所、御蔵、焔廠蔵が配されていました。まずは大手門。 桝形です。 そして大手門近くには、町令所や太鼓櫓が ...

津軽・弘前藩の支藩に黒石藩があります。 黒石陣屋は明暦2年(1656)に津軽信英(弘前藩三代津軽信義の弟)が、甥の4代弘前藩主津軽信政を補佐したことで弘前藩から5千石が分地され旗本に列し、その信英が明暦3年(1657)頃に造営したのが黒石陣屋です。 ※陣屋とは江戸時代幕 ...

追手門広場の山車展示館。 山車は津軽藩四代藩主信政公の時代に、天和2年(1682年)8月15日の弘前八幡宮祭礼の際に各町内会の若者達によって繰り出されたのが始まりとされています。 弘前市の山車は、京都の祇園祭、大阪の天満宮、江戸の三社祭の影響を受け京都から移 ...

慶長八年(1603)に亀甲町などとともに最初の町並みとして、更に城の南西の要所として町割りされました。町名は、近くにあった重森山にちなんで名付けられたといわれています。 茂森町は新寺町に続く南北に長い町ですが、藩政時代から市が立ち、昭和初期までは小間物屋(小 ...

黒石陣屋の南に独立している蝦夷館(えぞだて)です。 昔は先住アイヌ民族の居砦であったとも伝えられる古蹟。 藩境である宇和堰より南にあった蝦夷館はかつて弘前藩領でした。 蝦夷館の南下の宇和堰(明治30年代と今)。 蝦夷館から宇和堰を見下ろす。 蝦夷館は蝦夷( ...

『上ノ坂 ~ 其之壱』 下ノ坂と共に上ノ坂(かみのさか)もまた黒石を代表する名坂と言えます。 黒石は青森県のほぼ中心。西に岩木山・津軽平野、東に八甲田山、南に浅瀬石川を望み、黒石台地の崖上に発達した町。黒石市の面積の80%が山岳地帯なんですね。上ノ坂中腹より ...

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