くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

「弘前中央食品市場」 一戸時計台の隣りです。 昭和47年(1972年)創業。 「肉の富田 (富田牛肉店)」 明治37年(1904年)創業。 桔梗野の北山食堂(現「嶋」)向かいに富田肉店という分店もありました。 その昔、兵営に近接する富田町、新寺町、住吉町界隈には、将 ...

えきどてプロムナード!! 弘前駅前の遊歩道についた名前です。 今月からは駅前遊歩道ではなく、えきどてプロムナード! 赤色がえきプロで、黄色がどてプロ… 合わせて・・・えきどてプロムナード! 「もしもし~!○○ちゃん今どこにいるの?私どてプ ...

東京旧スカイツリー… 民間企業「日本電波塔」です。私もつい最近地デジ化しました(笑) 東京旧スカイツリーも相変わらず混んでるんですね。ハトバスやらシナバスやらでいっぱいでしたよ。ちなみに旧スカイツリーは高台にあるので周囲が勾配です。 さて、祭神徳川家康公、 ...

浪岡町浪岡字岡田。長慶天皇妃菊代妃之墓です。 身代地蔵尊と史蹟浪岡城址の碑の向かいほどにある神社。 ここにある盛土(観音林)は長慶天皇妃菊代姫之墓と云われています。慶応戊辰9月1日の馬頭観音(自然石)もあります。 菊代姫(菊理姫)は新田宗興の養女です。 ま ...

十和田市現代美術館…の屋外です笑再訪記事『十和田市現代美術館2020』 2008年の開館当初から何度か通っています。 何度行っても飽きませんよね。 フラワー・ホース(チェ・ジョンファ) アッタ(椿昇) オクリア(ポール・モリソン) ゴースト(インゲス・イデ ...

大館市にあります北鹿ハリストス正教会曲田福音聖堂。 明治25年(1892)曲田の畠山市之助が私財を投じ、信徒とともに屋敷内に建築した曲田福音聖堂で、設計は東京神田のニコライ堂の工事関係者と伝えられています。 現存するハリストス正教会の建築において木造平屋建教 ...

当社は宝暦年間(1751~1764)に山中安全を祈願して、その信者達によって建立されました。 安政2年(1855)神社微細書上帳によれば、薬師堂末社として記録されており、明治4年(1871)藩内大小神社調べでは、これまでの神仏混淆から、仏体を取り除き社号を胸肩神社と改め ...

創建大同2年(807)坂上田村麻呂が東夷東征の際、この地に宇佐八幡宮の分霊を勧請して国家鎮護の祈願を行い祠を建立したのが始まりと伝えられています。 以来、歴代領主から信仰され、中世は浪岡城主となった北畠氏から崇敬庇護され社殿の修復や社領の寄進が行われました ...

南朝の名族陸奥北畠氏の居城。築城年は不詳。 古くは平泉に本拠をもった藤原秀衡の六男頼衡の後裔が浪岡氏を名乗りこの地に土着し館を築いたのが始まりとされます。 長禄年間(1457~60)、北畠親房の後裔である北畠顕義(あきいえ)がこの地を領するようになり、以後歴代 ...

大館は池内道下から扇田道下方面にある坂道です。 住宅街の細い路地を歩いていましたら少しずつ下りとなり… 右カーブ後に現れたのは素敵な坂道でした。 右に大きく湾曲しています。 そして湾曲の途中で分岐する坂道。 左が上り坂… 右が下り坂。 次いで左に大きく ...

禅林街にある六角堂です。 俗称栄螺堂と言われますが実際は八角二重円堂。 天保10年(1839)に弘前東長町の津軽藩豪商中田嘉兵衛が商船の航行中に出た遭難死亡者や八萬人余の餓死者を出した天明天保の大飢饉等の供養の為に建立したとされます。 栄螺堂江戸時代後期に東 ...

岩手県下閉伊郡田野畑村にある海岸景勝地「鵜ノ巣断崖」です。 名の由来は中腹にウミウ及びカワウの営巣地があることに因んでいます。 太平洋に沿って標高200mにも及ぶ大規模な断崖絶壁となっていて突き出したような地形が特色。 規則的に鋸歯状になっていて、まるで巨大 ...

被災地の岩手県宮古市崎秋ヶ崎の海岸沿いに存在する潮を吹く穴です。ローソク岩と同時に国の天然記念物に指定されています。 穴の構造 上面は長さ2.5m最大幅65cmの紡錘形。 温泉の間欠泉が定期的に吹き上げるのに対し、潮吹穴は潮のみちひき、波、風等の諸条件が重なり合っ ...

津軽一代様の「卯」です。 弘前の卯年は最勝院と天満宮…2つあるのに人混みを避けられない運命ですね(笑) さて、西茂森町の天満宮は、領内修験(山伏)の蝕頭を勤めてきた大行院のあった場所。大行院は慶長3年(1598)に津軽為信が大行院栄尊を招き南郡大根子村(田舎館村 ...

かつて安渡湊と呼ばれていた大湊は北前船で賑わう商人の街。 砂洲に囲まれた大湊は天然の良港。 今回はそんな大湊より「浜町坂 (はままちざか)」の紹介です。 大湊浜町。 市道連絡1号線。 さほど勾配はありません。天気が良ければ坂下に海が広がって見えるのですが。 ...

黒石の土地から生まれた民謡に「黒石よされ」と「じょんから節」の二つがあります。 石名坂から浅瀬石へ続く道路に架けられた橋が上川原橋で、その付近が「じょんから節発祥の地」として知られていますが、その由来となる逸話をご紹介します。 今から約400年前の慶長2年(15 ...

まずは最勝院護摩堂。 旧大圓寺の本堂になります。 『密厳舎』額。享保年間に書道の大家である長勝寺19世拈笑呂山が書いたもの。密教の大日如来の浄土が密厳浄土ということからきています。太平長者の銘も見えます。 本尊は牛頭天王であり、疫病除けの御利益があると ...

これまでもいくつか紹介しましたが、見応えある最勝院を更に2回に分けて御紹介します。 まずは最勝院本堂。 昭和45年(1970)9月25日、時の真言宗智山派管長那須政隆猊下御親修のもと落慶法会を厳修した最勝院本堂。 中央は金剛界大日如来、右に宗祖弘法大師空海、左に中 ...

二ツ井にある兜神社です。 鎧神社には案内板がありましたがこちらはありませんでした。しかし由来は同じく藤原泰衝です。 勧請年代は不明なるも口承によりますと、奥洲藤原氏の4代目当主泰衡が源頼朝に追われて逃げ延びる途中で疲れ果て、兜を脱ぎ捨てたといわれ、勧請 ...

二ツ井にあります鎧神社。御祭神は泉の冠者泰衡乃霊・豊受姫神。創建不詳。明治43年7月9日字槻ノ木神社を合併。昭和62年氏子崇敬者により新社殿再建。 案内版によりますと『「ある秋の朝、槻ノ木村の1人の百姓が目をさまし、小便に起きた。そして槻ノ木村の方を見ると、まだ ...

春は桜 夏は蓮 そして百日紅へと華で彩られゆく夢物語…革秀寺。 革秀寺は山号を「津軽山」と言い藩祖為信公の菩提寺。為信公の遺言により岩木山の眺望の美しい現在地に二代藩主信枚公が亡父藩祖為信公追善のため、長勝寺八世格翁禅師を開山として慶長年間に建立。 周囲約 ...

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